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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■男神回來(続き)●Elle台湾エッセイ・もう1つ
私たちは金城武のあとについて「恋する惑星」に行ってから、
彼と一緒に道に迷ってしまったようだ。
5月1日を迎えること、あるいはパイナップルの缶詰を見ることに、
みんな意味があるようになった。
その年、毎日T18で電話をかけていた彼女は、今も何かを思い出すたびに、
また期限が切れてしまったと感じる。
また1年経った、また1年経ったと。

例えば金城武。
たくさんの人がいろいろな金城武を知っている。
しかし、こちらが察し、感じ取らないと、はっきり主張してこない金城武もある。
かつて陳昇の録音スタジオの助手を務めた金城武には、
実は音楽の天分もあったのだが、ある種の、いわれなき世間の偏見と同じで、
美と才能は同一人の中に存在しないはずだといつも言われていた。
それゆえ、彼はこの方面ではきわめて控えめで、ほとんど口にすることがなかった。

独自の炯眼を持つ陳昇もまた、この道理をわきまえており、
歌を世に問うた後、作曲者が誰かはすぐに明らかにせず、
ただ、「これは少年が作った曲」と言っただけだった。
陳昇は音楽自身におのれを知る者を選ばせたのだ。
この歌が1997年リリースのアルバム「六月」に収録されたときになって、
ようやく金城武の3文字が歌詞集に記された。
大声で言いふらすことのない英雄が英雄を惜しみ、
意図的に話題として盛り上げることをしなかった。
わかる者だけが分かればよかったのだ。

このように、野心と成功は、実はあまり直接的関係ないことがわかる。
こんなふうに理解して注意深く守ることこそ、実は真の完璧さであると、
この歌を愛する者たちに、静かな愛とは何かを理解させたのである。

金城武との再会は、再び記憶のさざ波を起こさせた。
あのころについて、あの、一緒にいたのに、別れの言葉を言い忘れた人たちについて、
私たちにもう1度、些細だが深い過去を思い出させる。
あの、急いで成長しようとしていたことを、T18を手放せなかったことを、
イヤホンの片方で曲を聴く習慣を。

「I SEE YOU」の一言は、70年代生まれの私たちにとって、
1つの広告にとどまらない、記憶の巡礼なのである。
映像の中で金城武が1人街を歩いてゆく姿が、私たちを再び追憶の交差点に導く。
ようやく「命はもうぼんやりした若さでは」なくなり、
たくさんのことを忘れ去ったとき、私たちはやっと成長したのだ。
唯一の違いは、すなわちこうだ。
昔は、自分が急いでいた、今は急がねばならなくなった、ということだ。
幸い、交差点は依然として交差点である。
依然として沈黙し、依然としてあわただしい。

*この文を最愛の携帯ブランド、エリクソンに――
私のように大人になりたくなかった者たちに寄り添い、
私にこの歌を教えてくれたあなたに捧げる。


ここで「歌」と言っているのは「路口」をさしていると思います。
歌詞の一部が引用されてもいます。


   BBS   ネタバレDiary 13:00

07月09日(火)
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