ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■翻訳企画:AAの回復率(その10)
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g) AAメンバーの構成と成長の動向

1937年10月、オハイオ州アクロンで、AAの共同創始者であるビル・Wとドクター・ボブが会った。『AA成年に達する』によれば、この時二人はその時点でのメンバー数についてのお互いの「メモを見比べた」。40人以上のアルコホーリクが酒をやめていた(そのうち20人は1年以上経過していた)。その全員が以前は絶望的だと診断された人たちだった」。この会合での話題はさまざまだったが、やがてアクロンからもニューヨーク周辺からも離れたところにいる人たちのために、経験を述べた本を作る提案へと導かれた。この経験を書いた本がAAの『ビッグブック』である 31。そして後にビル・Wが書いた『12のステップと12の伝統』の中で彼はこう述べている。32

31. 『アルコホーリクス・アノニマス成年に達する』p.219-223 (C) AAWS, inc
32. 『12のステップと12の伝統』ステップ1 p.31

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私たちの仲間がまだ少なかったときに発刊された『アルコホーリクス・アノニマス』の初版本が、どん底のケースばかりを取り扱っていたわけはここにある。それほどひどくないと思っていたアルコホーリクもAAに来たが、自分がどうしようもない状態だと認めることができなかったために、うまくいかなかった。

ところが驚くべきことに、それから数年で、事情がすっかり変わった。まだ元気で、家族もいて、仕事も失わず、そのうえガレージには車が二台もある、といったアルコホーリクたちも、自分のアルコホリズムを認めはじめた。この傾向が広がって、まだほとんど潜在的アルコホーリクと言ってもよいような若い人たちも加わった。この人たちは、私たちが通った、文字通り地獄の十年ないし十五年を経験しないですむように・・・。
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次に掲げる表は「AAメンバーシップの発展の傾向」と「AAグループとメンバーの推定数」である。1954年以降の数字はゼネラル・サービス評議会の最終報告書から得た。1954年以前のデータは、Grapevine誌1953年5月号に掲載された「How Many AAs?(AAメンバーは何人いるのか?)」という記事から取った。その記事にはこう述べられている。

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最初の100万人が最も困難であるとするなら、アルコホーリクス・アノニマスはすでにその仕事の8分の1を成し遂げている・・・世界のメンバー数はすでに100万人の8分の1を超えた。正確に言うと、1953年の世界グループ一覧によると、メンバー数は128,361人となっている。

ではあるものの、AAメンバー数の正確な統計は決して得られないものだ(強調追加)。一人ひとりのメンバーの無名性を守るためには、メンバー全員の名簿などは作れない。最新のメンバー数の数字は、世界の58ヶ国の5,243グループと127人の「ローンナー」からの報告に基づいている。観察眼の鋭いメンバーならば誰でも知っているが、グループの活発なメンバーの数は常に変動しているし、「いつメンバーになるのか(“when is a member?” [sic])」の解釈によっても数が違ってくる。さらに加えて、多くのグループがメンバー数の毎年の報告を送り損ねている。

他にも予測できないパターンを持った変動要因がある。それはさまざまなグループで使われている「人数の数え方」である。あるグループは、定期的にミーティングに参加し、自らそのグループのメンバーだと表明する人を数えるべきだと提案する。およそ3ヶ月の間、ほぼ定期的にしらふで姿を見せている人全員を数える、とするグループもある。集まった献金の平均額を適当な額で割って人数を求めているグループもある。悪天候の日に参加する人だけ数え、12ステップコールへの参加を拒む人を外し、いつでも掃除や皿洗いを引き受ける意欲のある人だけ数えるという提案もある。また、権威のある提案ではないが、ミーティングの後で残されたタバコの吸い殻を数える方法もある。


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02月04日(水)
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