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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■恨みの感情は人の心に何をもたらすか
ビッグブックの表形式の棚卸しは、まず「恨み」の表を書くことから始めます。

なぜそんな表を書くのか、という理由を説明すると12ステップ全体の話をしなければならなくなるので省略します。そのかわり、恨みが人の心にどんな影響を及ぼすかという話をしましょう。

恨みとは何でしょう。私は誰も恨んでいないと言う人も少なくありません。「恨み」という言葉で表現するほど強い気持ちじゃなくても、「気に入らない相手」「顔を合わせたくない人」「その人の言葉を聞きたくない」と思うような相手はいるのじゃないでしょうか。その人と接したり、接しなくてもその人のことを思い出しただけで嫌な気分になる・・その時に心の中に存在する感情が「恨み」です。

会いたくない人、避けたい人に対しては、私たちは恨みを持っているものです。

さて、怒りの感情は誰でもあります。それは正常な反応です。生きていれば理不尽な目に逢うこともあります。例えば満員電車で足を踏まれれば、痛いので頭に来ます(その痛みが快感だという人はちょっと黙っていてくれ)。自動販売機でおつりを取り忘れれば、自分に対して腹が立ちます。自己憐憫の気持ちです。しかし、そうした感情はその場限りのもので、過ぎ去っていきます。足を踏まれるからもう電車に乗らないとか、おつりを取り忘れるからもう自動販売機で買わない・・とはなりません。

恨みの感情は一過性ではありません。相手のことを思い出しただけで、嫌な気分になります。その人と同じ部屋にいるだけで(相手がなにもしなくても)楽しい気分が台無しになったりします。

なぜ相手を恨むのか。それは相手が過去に私(たち)を傷つけたからです。傷つけたといっても、身体的な意味に限りません。傷ついたのは私たちの自尊感情や名誉かもしれません。陰口を言われたとか、私の金を無駄遣いされたとか、責任を果たしてくれなかったとか。あるいは、セックスを拒まれたとか。私たちの傷つき方は様々です。

そうした過去のことを思い出すたびに(しばしば必要もないのに思い出すのですが)、私たちは過去の被害を再体験します。まるでビデオをリプレイするように。(ただビデオと違うのは、場面が正確に再現されず、リプレイするたびに脚色が施されるということです)。

私たちは恨みは正当なものだと感じます。だって、私たちを傷つけたのは相手ですから、相手が悪いのであり、反省するとすれば相手であって、私たちが何かする必要はない、と。

しかしここに罠があります。この理屈では、私たちが良い気分になるためには、相手が態度を改め、反省をし、行いを変えねばならないことになります。しかし、そうするかどうかは相手次第です。確かに相手が態度を変えてくれれば、私たちは良い気分になれるかも知れませんが、相手が変わらなければ私たちは悪い気分のままです。ということは、私たちの気分は相手次第ということです。

これはつまり、私たちの気分(心)を相手にコントロールさせ、支配させているということです。相手は別にこちらの気分など支配したいとは思っていないでしょうけど、こちらが勝手にそうしてしまっているのです。嫌な相手に自分を支配させ、コントロールさせる・・何とも自虐的な趣味です。

だから、自由になりたければ恨みを避けねばなりません。私たちは強い気持ちを持っていれば、相手を変えられると勘違いしてしまうことがありますが、しかしたいていの場合、どんなに強く相手を恨んでも、相手は変わってくれません。ますます自分の気持ちを相手次第にさせてしまうだけです。

だから私たちは「道路のこちら側を掃除」します。つまり、相手の落ち度ではなく、自分の側の落ち度を見つめます。態度を改め、行動を変えるべきは相手ではなく、自分であると。それは慣れないうちはラクではないことかもしれません。けれど、相手ではなく自分に問題があるというのは福音です。なぜなら、相手は変えられないけれど、自分は変えることができるからです。

そうして私たちは自由を取り戻し、良い気分で生きることができます。変えられないものを変えようとしないから疲れにくくなりますし、当然抑うつ気分も改善していきます。

さて、ここからは応用編です。


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02月28日(火)
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