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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■混ぜるな危険的AC論
いろいろとウンザリしているので、愚痴みたいな事を書きます。
共依存概念に関する混乱については、ちょっと前に長々書きました。そうなると、AC概念(アダルト・チャイルド、アダルト・チルドレン)についても書くことになります。
共依存について(その1) で、こう書きました。
> 1970年代に、コ・アルコホリズムやパラ・アルコホリズムという概念が成立しました。これはアルコール依存症(アルコホリズム)にかかった人と一緒に暮らしているせいで、家族も依存症本人と同様の考え方や行動が身に付いてしまう、つまり疑似的な依存症になってしまう、という考え方です。アダルト・チルドレンという概念もここで同時に成立しました。
アディクションはその人を無能力化・無責任化してしまいます。だから、本人にかわって家族がその責任を引き受けることになります。奥さんがアル中ダンナに手を取られてしまうと、どうしても子供たちの養育がないがしろになります。子供たちは本来必要な世話を受けられずに成長します。手不足な家庭の中で、まだ幼いのに、自分のことは自分でやり、時には母親の助手として、あるいは母親の相談役として、大人としての責任を担わされます。
その一方で、父親の暴言・暴力が激しかったとしても、母親はなかなか守ってくれません。昨今ではDVは警察を呼ぶなど外部化することが勧められていますが、なかなかそうはなりません。
そんなわけで、自分の必要を満たしてもらえない(世話してもらえない)、むしろ自分で自分の必要をないがしろにし、優先して他者の必要を満たし、責任を過剰に背負う思考パターン・行動パターンを身につけて大人になります。
しかし人間は無限のエネルギーを持っているわけではないので、そんな自己犠牲はどこかで限界に達します。その時に、様々なトラブルが起きてきます。アル中の子供が成人するとアル中に成りやすい(世代伝搬しやすい)ことは昔から知られていましたが、成人してアル中にならなくてもどこかヘンであるということが知られるようになり、「アルコール依存症者の成人した子供たち」(Adult Children of Alcoholics)という概念が誕生しました。
だから、元来の意味での共依存(アディクションの人の家族)という意味では、AC=共依存ということになります。ACの人は、親にないがしろにされたことに恨みがあるわけですが、その恨みが表面化しているよりも、むしろ内面に抑圧されていることのほうが多いわけです。
ここで気をつけなければならないのは、親子関係が悪いことがすなわちACではないということです。親子関係の悪さには様々な原因があり、共依存的な関係が成り立っているとは限りません。親子関係の悪い子供がみな、自分の必要をないがしろにして他者の必要を満たすような行動パターンを身につけるわけでもありません。
だから、親子関係が悪いとか、親を憎んでいるからACだ、というのはあまりにも単純化しすぎです。成人しても親に経済的にべったり依存しっぱなしとか、親の家にひきこもりってのは、どうみてもAC概念にそぐいません。(むしろ親が子供の面倒を過剰に見てないか?)。「俺がこうなったのは親のせいだ」という憎しみを持っていたとしても、それがACを意味するわけではありません。
ところが、親子関係の悪い人をみかけると、すぐにそれをAC扱いしてしまう人がいて困るのです。アディクションの問題でメシを食っている人ですらこれをやります。このようなACに関する誤解は広く広まっている気がします。
それをやられて一番困ってしまうのは、ACの人がアディクションを持ってしまった場合です。先ほどACとはアル中になれなかった人たちだと説明しました。アル中になってしまえば、ACは関係ありません。本人性のほうがAC性より優先するからです。
AAの12のステップには「ACの場合には」という注意書きはありません。それはAA誕生がAC概念成立よりずっと前なので当然なのですが。ACであろうとなかろうと、アル中として12ステップをやるには何ら変わりがなく、一括して扱って不都合がなかったのです。(むしろ12のステップがちきんと伝わっていなかったのが不都合の原因でした)。
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01月31日(火)
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