ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■共依存について(その7)
さて、ひさしぶりに長い連載?になりましたが、そろそろまとめに入りたいと思います。

元々は疑似アルコホリズム(パラ・アルコホリズム/コ・アルコホリズム)として、アルコール依存症者とその家族に限った病理を表していたものが、やがて共依存というアディクションに限らない社会学的な概念に発展する中で、実はアディクションのケアについての有効性を失っていったのではないか、という考えに至りました。

しかし、共依存概念そのものが無効なのか。ギデンズは共依存をこう定義しました。

> 共依存症者とは、生きる上での安心感を維持するために、自分が求めているものを明確にしてくれる相手を、一人ないし複数必要としている人間である。つまり、共依存症者は、相手の要求に一身を捧げていかなければ、みずからに自信を持つことができないのである。共依存的関係性は、同じような類の衝動的強迫性に活動が支配されている相手と、心理的に強く結び付いている間柄なのである。

この定義に沿って考えると、アディクションの家族は必ずしも共依存とは限らないし、共依存者が必ずしもアディクション関係者とは限らない、と考えたほうがまとまりがつくではないでしょうか。

つまり両者は独立の関係ではないか。共依存概念が「アディクションの家族に限る」という条件を捨てたときに、両者の関係を独立したものにしておけばよかったのに、共依存概念をアディクションの現場に逆輸入したのが良くなかったのじゃないかと思います。

こう考えれば、CoDAという「共依存の12ステップグループ」という、一見矛盾に満ちたグループも存在の意味が見えてくるのではないでしょうか。(うつや統合失調などアディクション以外の分野に12ステップを使う応用は結構あるから)。

結論としては、「共依存概念はアディクションとは無縁なものとして捉えたほうがスッキリするんです」というあたりでしょうか。

じゃあ、家族の回復はどうすりゃいいのか。ここで考えてみて欲しいのは、共依存概念が成立したのは1980年代です。それ以前にもアディクションの家族グループは存在しました。アラノンの成立は1951年です。実に30年以上も前から存在しています。僕の知る限り、アラノンは共依存という言葉は使っていません。であるのに、アラノンは共依存系のグループより数的に成功しています。これは家族として回復するときに、共依存概念は必ずしも必要ないってことじゃないでしょうか。そして、NAやGAなど本人のグループがAAをモデルにしてできていったように、様々な家族グループもアラノンをモデルとしていきました。

だから、共依存のステップ1を説明しろと言われたら、そりゃCoDAの扱いでしょう、ってことになるわけです。一方、依存症の家族にとってもステップ1って何ですかってことなら、とりあえず共依存という言葉は無視して、アラノンのステップを調べてみるべきだってことになります。

いろいろ長々と共依存について批判的に書いてきましたが、共依存というものはきちんと存在すると思っています。だが、共依存とアディクションの家族としての問題は分けて考えるべきだと思います。アメリカにおける一部の考え方を、無批判に翻訳紹介し、日本のアディクションの現場に放り込んだ人がいたおかげで、その後ずっと混乱が続いているように感じます。

共依存概念にこだわるよりも、むしろそれを捨てて、家族がどんな問題を抱えているか概念を再構築する時期に来ているのではないでしょうか。

少し視点を変えて、アメリカでは1980年代から、日本でも2000年を過ぎてから、ビッグブックを使った12ステップの原点回帰運動が起こりました。AAの12ステップの成立以降にいろいろ12ステップにくっついてしまった概念を脇に置き、元々12ステップがどんなものだったのかを探ることで、ステップの有効性を取り戻す動きです。これは本人側のグループの動きでした。

同じことが家族の12ステップにも必要とされているのじゃないでしょうか。つまり家族版原点回帰運動です。その中核を担えと言われても僕には荷が重いですけど。


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01月24日(火)
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