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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■愛という言葉を使わない
土曜日は高速バスで新宿に出て、その足で埼玉県川口に移動して、リビングライブラリーというイベントに参加しました。
これは人間を「生きている本」として貸し出す図書館という試みで、何らかの誤解や偏見を受ける可能性のある人たち、例えば障害者や性的少数派、ホームレスなどなどの人の語りを聞きます。講演会などと違うのは、聞き手がごく少人数であることと、話の途中で質問を挟んでも良いということです。社会に存在する無知や偏見をとても地道なやり方で取り除こうとする試み、と言えるでしょうか。
リビングライブラリー
http://living-library.jp/
今回は午前中1枠(30分)しか参加できなかったので、どの方の話を伺おうか迷ったのですが、買い物依存症の人のお話しを聞かせて頂きました。
受付でカンパを含めて500円払ってから財布の中を見ると、千円札1枚と硬貨少々しか入っていませんでした。しまった財布の中身を確かめずに出てきちゃった。これで昼食と夕食をまかない(帰りの切符はあるからいいけど)駐車場の料金も払わねばなりません。その日は何とかなったのですが、翌日AAの病院メッセージに行く途中で、スポンシーと会い、ガストでメニューを広げたところで、財布の中に全然金がないことに気がつきました。う〜む。
まさかスポンサーに昼食代貸してくれと言われるとは思わなかったでしょう。次の時に返しますね。
さて、全然関係ない話ですが、「ひいらぎさんは愛という言葉を使いませんね」と言われることがあります。
もちろんそれには理由があります。愛という言葉はアディクション領域で頻用するには危険すぎるからです。
例えば、依存症の家庭にはしばしばDV(ドメスティック・バイオレンス)があります。身体的暴力に限らず、精神的な暴力や言葉による暴力も含みます。DV夫たちは、妻に暴力をふるったのは「愛しているからこそ」だと主張します。いたらない妻、ダメな妻に「きちんとして欲しい」からこそだったと。身勝手な愛が暴力や強制を正当化してしまっています。
同じことは、親による子供の虐待にも言えます。しつけがエスカレートして虐待に発展する背景には、「この子がこのまま大人になったのでは将来困るだろう」という親の愛があります。
アディクションの領域でも、例えば覚醒剤での服役を終えて家に戻った息子に対して、親たちが「反省させるため」と称して暴力的懲罰を与えた話や、家族に借金の尻ぬぐいばかりさせるギャンブル依存症者を家から締め出した話など、いずれも愛すればこその行為です。
または愛情という言葉が、女性に対し、男性への盲目的な献身と自己犠牲を強制する装置として使われる、という批判はフェミニズム領域から繰り返し出されています。
(愛情そのものではなく)愛もしくは愛情という言葉は、暴力性を帯びる危険を常にはらんでします。愛という言葉によって、暴力や理不尽な強制が正当化されてしまうからです。
先日のギャンブル依存に関するテレビ番組では、家族を愛するがゆえに借金の尻ぬぐいを繰り返す過ちが紹介されていました。
愛は崇高なものだとされています。だからこそ、愛は正しく、その言葉に反論することは許されない、という雰囲気があります。虐待されても親に従えない子供は「親の愛情を感じ取れない子供」とされ、飲んでいるアル中夫に尽くせない妻は「夫を愛していない妻」とされてしまいます。
だからこそ、僕らは「愛」という言葉を使わずに語らねばなりません。
医療であれ、福祉であれ、行政であれ、愛という言葉は持ち出さないようにしているのにお気づきでしょうか。例えば介護の仕事はキツいわりには賃金は安くなっています。それが「愛」とか「献身」という言葉で待遇の悪さを覆い隠すようになったら、それはもう単なる労働搾取になってしまいます。
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12月12日(月)
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