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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■ステップの「棚卸し」は癒しではない
12ステップのステップ4と5は「棚卸し」と呼ばれ、またステップ10にも日々の棚卸しという作業があります。「棚卸し」は12ステップのハイライトです。
棚卸しは癒しのために行うと考えている人もいますが、そうではありません(少なくとも僕はそう考えてはいません)。もちろん、ステップ4で棚卸し表を書き、ステップ5で誰かとその内容を話し合うことで、大きく癒されたと感じる人はたくさんいます。けれど、癒しで終わらせてしまうわけにはいきません。なぜなら、ステップ4・5は変化の始まりに過ぎないからです。癒されたという感じに満足して、そこでステップを止めてしまうと、結局その人は変化できないのです。
癒しとは何でしょうか。こんな例えを考えてみます。
小さな子供が転んで膝小僧をすりむいたとします。膝の傷を洗ってやり、消毒して、薬を塗る手当をします。それによって傷はきれいに治る。これが癒しです。
12ステップは違います。しょっちゅう転んで怪我をしている子供がいた場合に、「どうしてこの子はこう頻繁に転ぶんだろう」と原因を探って解決するのが12ステップです。
大人と違って子供は簡単なことで転びます。子育てしてみると分かりますが、子供は靴が少し大きくてブカブカしているだけでも転びます。足がどこか悪いのかも知れないし、目が悪いのかも知れません。平衡感覚に問題を抱えているのかも知れません。その子の転ぶ原因を見つけてあげることが大切です。
(僕自身も子供の頃はしょっちゅう転んで、田んぼの水路にハマっていました。片目の視力が悪いのが原因だと分かったのは、小学校入学時の身体検査時でした。もっと早く原因が突き止められていたら、視力向上の手段もあったのですが、すでに時遅し。医療水準の低かった当時の田舎では仕方のないことでした)
癒されることを求める人がいます。転んで膝をすりむけば、傷の手当ては必要です。でも対症療法を繰り返すだけでは解決にもならないことも多いのです。
生きづらさを抱えている人がいます。人生につまずいた人がいます。AAや他のグループに来て12ステップに取り組む人は、何らかの人生のつまずきを経験したからこそ、そこに来た人たちです。中には大きなつまずきが一度あったに過ぎない、と主張する人もいますが、実はその大きなつまずきは、それに先立つ小さなつまずきの繰り返しによってもたらされたものです。
アディクションやACの問題を抱える人は、言ってみれば「転んで怪我をしやすい子供」のようなものです。みんな傷ついて自助グループにやってきます(僕もそうでした)。けれど、その心の傷を癒して、低くなった自尊感情を持ち上げるだけでは、解決になりません。
生きづらさや人生のつまずきは、表面に現れただけのものです。問題の本質(原因)はもっと奧にあります。それを何と呼んでも良いのでしょうが、たまたま12ステップでは性格上の欠点とか短所と呼んでいます。他では違う言葉が使われているかもしれませんが、同じことを指しています。そうした原因が取り除かれれば、生きづらさやつまずきはずっと減ります。
転んで怪我をすれば痛い。転びやすい子供はやがて外で遊ぶのが怖くなり、家に閉じこもりがちになります。同じように、人生につまずき、生きづらさを感じている人は、不安が大きくなり、世の中の不条理をより感じやすくなります。「性格的欠点の多い人ほど傷つきやすい」という原則のとおりです。けれど、転ぶ原因が分かれば、その原因を取り除きたくなる人もいます(ならない人もいるけど)。原因が取り除かれ、転ばなくなればまた友だちと遊びたくなります。アディクトやACも、不条理な世の中を自信を持って泳ぎ渡っていけるようになります。(「自己評価の低さが私の生きづらさの原因」なんて言葉のナンセンスさが分かります)。
棚卸しでは、ひんぱんにつまずいてきた原因を分析します。そこから先のステップでは、その原因を取り除いていきます。
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11月28日(月)
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