ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■発達障害とAC概念の混同
境界線の問題と発達障害について考えています。

境界線(バウンダリ)というのは、他者と自分の間の境界です。健全な境界線を保つことは、健全な人間関係に必要なことです。これがきちんとしていなければ、対人依存や共依存の問題を抱えることになります。また、他者が自分の心の中に土足に踏み込んできたり、不当な要求をされたときに、ちゃんと「ノー」と言えなければ、自分を犠牲者にすることになります。精神の健康のためにも、健全な境界線を保つことは必要です。

ビッグブックのステップ3のところ(p.89〜)に書かれている「何もかも仕切りたがる役者」の話も、基本的に境界線の問題なのでしょう。回復とは「常に自分の頭の上のハエを追う」作業なのですが、自分の問題から目を背けて、人の問題にクビをつっこみたがる傾向はなかなか拭えません。

境界線というと考えるのは「甘え」の問題です。ここで言う甘えとは「他者に対する不当な要求」です。

例えば僕はAAにつながったばかりの頃、人間関係が荒廃して寂しい状態でした。そんな僕のことを相手にしてくれるAAの「先ゆく仲間」の存在をとてもうれしく思い、毎晩のように電話してウザがられました。相手が迷惑している(自分が不当な要求をしている)ことに気づかなかったのです。健全な境界線を保つ方向に努力すれば、こうした形で人を傷つける(やがて自分も傷つく)ことは避けられます。

では境界線はどうやったら保つことができるのでしょうか?

(おそらく)健全な境界線を保っている人の多くは、「どうやったらそれができるか」なんて言語的に考えずに自動的に行っているのでしょう。つまり「場の空気を読む」というやつです。この場の空気を説明しみろと頼んでも、論理的にうまく説明してもらえるとは限りません。

前述の例で言えば、僕からの電話を相手が迷惑に感じていることが、相手の言葉やトーンから「それとなく」感じられれば、もうあんまり電話しない方が良いなと判断がつきます。

広汎性発達障害やADHDを抱えた人は、「空気を読む」「それとなく察する」ことが苦手です。人の気持ちを想像するという能力に障害を持っています。当人は自分がそれができない自覚を持っていません(空気は読めると思っている)。子どもの頃からの成長の過程で、周囲を観察し、ふさわしい行動を考えて導き出す訓練を積んでおり、それによってなんとか社会に適応しています。(彼らの「人と同じようにできる」の根拠はこれだ)。

しかし、それは「肌で感じる」ような自動的なものと違って気苦労も多いし、どんなに考えることに長けた人でも時に手痛い失敗をします。四輪駆動車が普通の車よりより困難な場所で立ち往生するのと同じで、能力の高い発達障害者ほど、より手痛いミスを犯します。結果として自己評価は下がり、自分はできない人だと落ち込むことになります(いやできないのは確かなのだが、だからとて人として劣っているわけではない)。

電話の例を続ければ、相手が迷惑がっていることに気づかずに電話を続けたとすると、やがて相手はやんわりと電話を断ってくるし、それにも気づかずに電話を続ければ、やがて怒り出します。その時になって初めて気がついたとすると、あんなに親切だった人がなぜ急に手のひらを返したように冷たくなったのか、と裏切られた気分になり、人間不信や自信喪失を味わうことになります。

発達障害の人は、自分の何が悪かったのかもわからないまま大変に傷つき、寂しい思いをし、自己評価を下げています。発達障害の問題を指摘し、納得してもらうことは、その人が子供の頃から持っていた「努力すれば人と同じようにできるはず」という偽りの完全性を突き崩すことになるので、一時的にはその人にマイナスです。しかし、やがてその人の自己評価を持ち上げ、自信を持つ結果へとつながるでしょう。


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12月06日(月)
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