ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■意志が弱いから飲むわけではない
20年ほど前に自殺未遂をやりました。
酒を飲んでいた頃で、精神科にもAAにもまだお世話になっていませんでした。
左の手首を切ったのですが、ちょうど大学の後輩が電話をかけてきてくれて、助かってしまいました。救急病院経由で長野の実家に帰ることになりました。

なぜ死にたくなったのか、という話は平凡なので省きます。話したいのはそこから先ですから。

ちょうど旧盆の頃で、実家では腫れ物に触る扱いをされました。僕は酒が身体から抜けていくときは、かなり激しい退薬症状が出ます。上半身は脂汗だらけ、身体全体がふるえ、耳鳴りが聞こえます(幻聴が聞こえたのは数度のみ)。これが2〜3日続きます。このときは入院せずに実家でこれを乗り越えました。

酒が切れると、次は長期の飲酒で弱った身体の面倒をみなければなりません。一週間ほどで普通に食事ができるようになり、一ヶ月経つ頃には手首の包帯も取れました。僕は高校のときに乗っていた自転車を整備して、それで田舎道をあちこち走って体力をつけました。晩夏初秋の風が気持ちよく、眺めの良い場所で飲むジュースは格別でした。

混乱していた頭がスッキリしてくると、自分がとてもバカなことをやっている気分になりました。自分は田舎でのんびりしたいわけではなく、東京に戻って仕事の続きをやり、フリーランスのエンジニアとしての立場を取り戻さなくてはなりません。酒のせいでこうなったのは分かっていました。

酒を飲むより、仕事で自己実現する方がよほど大切ですから、「もう二度と飲むまい」と決めました。東京にいる仕事上の知人に電話をかけ、戻る段取りを始めました。

季節は秋になり、夕食のときに親父が目の前で飲む晩酌が気になるようになりました。燗をつけた日本酒の温かさが懐かしく、「ちょっと一杯くれ」と親父に言っていました。その時の親父の嫌そうな顔を今でも思い出します。おちょこ一杯だけの日本酒で、胃がぽっと暖かくなりました。自分が酒のせいで頭のおかしな人になってしまい、そのせいで実家にかくまわれている身だという事実を完全に忘れていたわけではありません。

けれどその瞬間、僕は「ちょっとだけなら飲んでもかまわない」と思ってしまったのです。手首の傷跡や、財布の中身の乏しさの原因が酒であることは、最初の一杯を退ける理由にはなってくれませんでした。

その日はそれで寝たのですが、翌日自転車で走りに出たとき、缶ビールを一本飲むのも悪くないと思いつきました。やがてそれは連続飲酒になり、東京に戻る話は流れてしまい、それ以来ずっと僕は田舎に留まっています。

今から思えば、あれは人生を変えた瞬間でした。あの時飲まなかったら東京で成功していた・・・とは言えないのでしょうが、自分が成し遂げたかった夢を諦めることになった一件でした。僕も「大事なときに限って飲んでしまう」人の一人なのです。

今では分かっています。その瞬間こそ「最初の一杯にまつわる狂気」なのであり、それこそ僕の無力の対象であるものです。AAに来た後も一度その狂気にやられて再飲酒しています。その時もどうしても飲みたくてたまらなかったわけじゃありません。飲みたい気持ちは少ししかなかったのに飲んでしまったのです。

ビッグブックでフレッドが語る言葉。

「私にアルコホリズムの傾向があるなら、その時と機会は必ずくるし、だから必ずまた飲むだろうと。防御を固めていても、それはある日、酒を一杯飲むための取るに足らない言い訳の前に崩れ去るだろうと言われましたね。まったくそのとおりになってしまって……それどころか私がアルコホリズムについて学んだ知識は、少しも頭をかすめさえしなかった」

けれどその時はそんなことは分かりませんでした。ただ飲みたくて飲んだだけだ、自分は意志が弱いのだと思っていました。けれどアルコホーリクの心の動きを説明された後では、あの時自分に何が起きていたか分かります。

ネットにも(AAにも!)フレッドのような人はたくさんいます。意志の力や自覚によって酒を遠ざけ続けられると思っている人が。そういう人たちが無力を理解するには、やはりフレッドと同じ体験をするしかないのかもしれません。


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07月14日(水)
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