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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■新しい依存症治療
最近休みの日となれば研修や公開講座に行っている気がするのですが、土曜も依存症の公開講座に行ってきました。前半は薬物(アルコール含む)依存症の新しい治療法について、後半はギャンブル依存症の話でした。
実はその前にAAのイベントに参加しいて、遅れて参加したので始まりから1時間ぐらいは聞き逃してしまいました。(だが、そこはたぶん依存症とは何かという話をしていたと思われるのでいいや)。講師は国立精神・神経センターの臨床家の先生です。新しい治療法というのは、必ずしも abstinence (アルコールで言えば禁酒・断酒)を目指すのではなく、moderate (アルコールならば適正飲酒)もありというものでした。
アメリカでは abstinence base ばかりではなく、moderate base の治療も増えてきていると聞いたことがあります(例えば自助グループならMM)。なぜ断酒・断薬を目指すのではなく、節酒(節薬?)なのかというと、断酒を強調すると治療の拒否・中断を招いてしまうからです。未治療のまま放置して病気を悪化させるより、拒絶を取り除いて治療に巻き込んだ方が良いという考え方です。
「節酒」と聞くとAAの人間として反発を感じてしまうのですが、聞いてみればこれは治療と言うよりは「医者が行う治療への導入(介入)技法」です。つまり治療の入り口戦略。ここから治療に入って、急性期治療を経て、慢性期治療へと進む。AAは一生をスパンとした究極の慢性期治療(再発防止)であって、この先生の話とは分野がまるで違うのだ、と思い至った後は心落ち着いて話を聞くことができました。
覚醒剤やアルコールの害を強調するばかりではなく、それにメリットもあることも気づかせる。これは動機付け面接(MI)の技法です。飲み続けるメリット・デメリット、やめるメリット・デメリット、これを表にして書き出してもらい、意志決定を促していきます。
治療の場に来たことをとにかく褒める、褒める、褒める。例え前の晩に覚醒剤をやっていて尿検査に反応が出てもとがめない。これによって、「また覚醒剤やっていることがバレるからもう診察には行かない」という気持ちを避けさせます。・・この話を聞いていて、昨年信田さよ子先生のDV加害者のグループ療法の話を思い出しました。自分の加害行為を自覚していなくても、反省していなくても、ともかく治療の場に来たことを褒め続ける。共通するのは、早く結果を出すのを目的としていることです。
従来の手法はとかく直面化を大事にしました。自分のやっている行為(酒、薬、ギャンブル、加害)の無意味さ、破壊性に気がついて、反省を促し、それによって行動を変えさせる方法でした。しかしこれには時間がかかります。最近の手法は、自覚や反省よりも「変わることのメリット」を強調して、それに吸い寄せている感じです。
家族の対応についても話がありました。家族に対して「本人を手放して」という対応から一転して、積極的に治療や再発防止に関わるべきとなっています。いくら「手放して」も酒や薬でトラブルを起こしていれば入院させるなどの手間を家族がかけねばなりません。本人にとって見れば家族に関わってもらえるわけです(寂しくない)。ところが酒や薬をやめたとたん家族はそれぞれの生活に戻っていってしまいます。すると本人は放置されて寂しいので、再飲酒してトラブルを起こします。こうして再飲酒のメリットを学習してしまいます(子供と一緒だ)。
そこで、やめていることがハッキリしているときは、家族が本人にご褒美をあげる。ご褒美といっても、やめるたびにディズニーランドのホテルに泊まっていたのではお金がいくらあっても足りないので、繰り返し実現可能な些細なことです。例えば本人が寂しくないように好きなテレビを一緒に見てあげるとか、好きな料理を作ってあげるとか。
逆に飲んでいることが明らかなときには、親切はしない。といっても、明らかな懲罰ではなく、例えば駅まで車で送っていたのを取りやめるとか、お金が足りなくても追加のこづかいは絶対あげないとか。
(こうなると共依存の概念も変わっちゃうのかも。本人の治療にデメリットのある家族の行為は共依存で、治療にメリットがあれば協力行為なのか?)
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07月06日(火)
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