ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■問題の分かち合いばかりでは
6月3日の雑記「その概念を他の依存に拡張する」で、
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100603
「問題」と「解決方法」の二つに分けました。
人それぞれ抱えている問題は違います。アルコールだったり、ギャンブルだったり。薬物だったり。共依存だったり。はてはACだったり。問題が違えば、ミーティングでそれを分かち合っても、共感できないことだってあります。
僕はアルコールの人なので、ギャンブルへの衝動がコントロールできないこととか、覚醒剤をやってセックスするといかに気持ちいいかとか、食べて吐いたときのちょっとスッとする感じとか、(頭では理解できても)体験的に知っているわけじゃありません。
けれど、問題は違っていても、解決方法(12のステップ)は共通です。
「私たち一人一人にとっての偉大な事実は、私たちが共通の解決方法を見つけたということにある」(p.27)
だからミーティングでは、問題ばかりでなく解決方法も分かち合う必要があります。どうやってその問題を解決したかという「経験」を分かち合うことで、将来へ向かう「力」や「希望」が生まれてくるからです。
逆に言うと、問題ばかりが分かち合われているミーティングには「希望」がありません。表面的に明るくても、裏にはいつまでも問題に屈服され続ける惨めさが潜んでいます。過去アディクションがひどかった頃にあんなことやこんなことをした、と笑いに転化して話すのは、一見楽しく明るい分かち合いに見えるのですが、それだけでは実は解決のない暗い暗い希望のないミーティングになってしまうのです。
依存の症状が止まっても、それだけで問題が消え去るわけではありません。日常生活の中で、問題はいくらでも発生してきます。人間や金銭への不満や不安にさらされ続けるのが人生なのですから。もちろん、人間にとってそうした心の中の問題を口に出すことは大切なことです。けれど、ミーティングは問題を分かち合う場所ではなく、むしろ、それをどうやって乗り越えたか(解決)を分かち合う場所です。
けれど、そうした解決の示されない(暗い希望のない)ミーティング会場でも、人はそこに何らかの心地好さを感じます。悩んでいる人は孤立しがちなので、悩んでいるのは自分一人だと思っています。けれど、ミーティングに行けば同じ問題、同じ悩みを抱えた人が他にもいることがわかり、その中に混じって「ちょっとホッとする」のです。
また悩んでいる人は孤立しがちなので、(酒やギャンブルが止まっていても)心の中を打ち明ける相手がいない(か少ない)のがふつうです。ところがミーティングに来れば、みんな黙って自分の話を聞いてくれますから、先週のミーティングから今日までこんなことがあったとか、会社や家でこんな目にあった、という話をして、それで「ちょっとスッとする」のです。
こんなふうに、問題ばかりが分かち合われるミーティングでも癒し(リリーフ)は与えられます。けれど、その癒しの効果は一時的なものに過ぎず、問題は解決されないまま残ります。せっかくミーティングにつながっても、そのことに失望して去ってしまう人もいます。あるいは、一時的な癒しを延々求め続ける人たちもいます。
ある人がミーティングに毎日通って酒をやめていました。回復優先で仕事はしていませんでした。三年経って仕事についたら、忙しくてミーティングに行けず、精神的に調子を崩して再飲酒、仕事もクビになってしまいました。この人に対して「ミーティングから離れるから再飲酒するのだ」と言って済ませていいものでしょうか。
一時的な癒ししか与えないミーティングに毎日通って、それによって断酒を続け、そこから離れたら酒を飲んでしまう・・忙しくてミーティングに行けない状況に、ただ流されてしまうだけの人を作る。これでは回復とは言えません。この人に、またミーティングに通えばいいよ、というのは、螺旋をもう一回転させるだけ、良くて問題の先延ばし、悪ければ「人殺しの論理」です。
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06月18日(金)
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