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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■数え方
「死んだ子の年を数える」という言葉があります。
いまさらどうしようもない過去のことを嘆く意味です。

死んでいなくて、生きている子供の年も数えます。
赤ん坊が生まれれば「生後何日」と数えます。
しばらくすれば何ヶ月と数え、細かい人だと何ヶ月と何日まで数えるかもしれません。
1年の誕生日には親戚を呼んで誕生会をやるぐらいうれしい。
1年を過ぎれば1年と何ヶ月と数えますが、2才3才となっていけば「何ヶ月」の部分が取り去られ「うちの子は何才です」という表現になり、中学生高校生になれば「お子さん何才ですか?」という質問に対して、とっさには答えられず学年や生年から計算しないと数が出てこなくなります。
なぜこのように最初は数を細かく数え、年数が経つと粗くなるのか?
それはおそらく、生まれた直後は子供がいることが新鮮な感動で、年を経ると子供が存在して当たり前の日常になっていくからでしょう。(刺激閾値の上昇?)

断酒後の日数の数え方も同じ感じです。
断酒直後は「断酒何日」と数え、やがて何ヶ月、もうすぐ1年、1年と何ヶ月・・という数え方になっていきます。3年、5年と経ってくると「何ヶ月」という端数はあまり重要ではなくなってきます。十年を超えてくると、「お酒をやめてどれくらいですか?」という質問に答えるのに簡単な計算が必要になってきます。その先はまだ経験がないからわかりません。

断酒9ヶ月の人が「あと3ヶ月で1年です」と言うのは自然なことだと思います。1年目前の人が「あと3日で1年です」というのと同じ。けれど、例えば3年経った人が「私の断酒歴は3年5ヶ月15日です」と表現するのはかなり変な感じです。それは「私の息子は3才と5ヶ月15日です」と同じで、「何でそんなに細かく数えるのか?」という疑問(違和感)を聞く側に与えます。普通は「息子は三才半です」ぐらいのものでしょう? (断酒千何日目ですというのも同じ類かも)。

なんでそんなに細かく数えるのか? ご本人の心の中まではわかりませんが、「死んだ子の年を数える」心理なのかもしれません。その人の中では、手放したお酒=死んだ子供になっている。我慢の断酒が続いている、ということなのではないかな、と。

自分のソーバー(断酒歴)の長さをどう表現するか。その年数をどれぐらい強調するか。そういったことは、その人のソーバーの質を計る一つの目安になると思うのです。

なんでこんな「人のソーバーの質を計る」という話をするかというと、スポンサーをやるためには、スポンシーのコンディションを把握するためのスキルやテクニックが必要になってくるからです。そのためには、なるべくいろいろな指標を使えた方が便利です。霊的であるということは実際的であるということだ、とビルも書いているしね。

また自分の状態を知る指標になることもあります。もう何年もやめているのに、「俺はソーバー何年だ」と強調したい気分になったときは、自分のソブラエティの質を表現するのに年数以外の手段を失っているのではないか? つまりコンディションが悪くなっているのではないか、と自分に問うことができます。

05月13日(木)
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