ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■不全感の進行
12&12では、人間の欲望(本能)を、社会的共存・(物質的精神的)安全・性の三つに分けて、いずれも人間が生きて行くには欠かせないもの(神から与えられたもの)と規定しています。つまり欲望があるのは健康なことです。
しかし、人は時に長期的展望を欠いたり、視野が狭くなったりすることがあり、すると欲望を過剰に満たそうとします(あるいは必要なだけ満たすことを否定し過度に禁欲的になる)。例えば名声欲にとりつかれるのは社会的欲望の暴走で、部屋が片づかないのは物質的精神的安定を求めすぎた結果だと言えます。そして、どれかひとつの本能を優先するとき、他の本能が犠牲にされます。
自分の中でこの三つの欲望(本能)のバランスが崩れたり、他者の本能とのせめぎ合いが起こるとき、私たちはトラブルに巻き込まれます。けれど、それは何もアル中だけに限りません。世界中の人たちが同じように欲望のせめぎ合いの中で生きています。けれど、なぜAAの12ステップがこの仕組みを強調するのでしょうか。
以前に、「アル中は自分に都合の良いものを、自分に都合の良い方法で、手に入れようとする。だから彼らが最も聞きたくない言葉は No だ」という言葉を紹介しました。また、ビッグブックには「私たちアルコホーリクは、自己規制力をあまり持たない」とあります。
つまり、アル中というのは、自分の中の三つの本能のバランスを取ったり、自分と他者の欲望のバランスを調整する能力が低いわけです。自分の欲望を満たそうと他者を犠牲にする一方で、常に自分は状況の犠牲者だと感じてもいます。
欲望が満たされないとき、人は怒り(恨み)を感じます。欲望が満たされない予感があるとき、人は不安(恐れ)を感じ、それが怒りに転じます。欲望の調整能力を欠いたアル中は、不安に支配され、怒りを持ちやすい人間だと言えます(そして怒りはやがて鬱に転じます)。
ところで「幸せ」とは何でしょうか。分かりやすいのは、欲望が満たされること=幸せという考え方です。人に尊敬されること、親切な人たちに囲まれること、金銭の不自由なく、ものに恵まれること、性的にも満足して、健康で利発な可愛い子どもがいることなどなど。こうした欲望の充足が人生の目的なのでしょうか。もちろん、最低限の必要が満たされなければ、幸せはとても難しくなります。けれど、ひたすらそれでいいのか?
12&12にはこんな文章もあります。
「人生の主な目的は人間の基本的欲求の充足にあるという信念」
「この信念によって生きようとして一番失敗したのが、私たちアルコホーリクなのだ」
これは何を意味するのか。どんなに恵まれた人でも、満たされない欲望を抱えているものです。もし人生の目的や幸せが、欲望を満たすことだとするなら、この世の中には生きる目的を果たした人も、幸せな人もいないことになります。しかし、世の中には完全には満たされていないのに幸せな人たちがいるのです。
結局アル中は、満たされないことへの不満や不安が人一倍強いのではないか。しかもその欲望は長期的展望や、他者との関係の視点を欠いた近視眼的なものではないか。そうした絶え間のない苦痛にさらされているからこそ、アルコールの陶酔がもたらす一時的な万能感(完璧な充足感)を「幸せ」だと勘違いして深くハマったのではないか。
だからこそ、肉体的な渇望(飲酒欲求と呼ばれるもの)が去った後でも、調整に失敗した欲望のもたらす不全感が、アルコールが与えてくれる幼児的万能感(つまり再飲酒)へと引き戻そうとし続けているのではないか。
というのが僕のとらえ方なのです。なので僕の棚卸しは、欲望をどれだけ満たすのが適切かという観点に基づいています。
単に酒をやめただけでは、満たされない不満、不安、不全感は解消されないどころか、かえって悪化するでしょう。というのも、いままで一時的であれそれを解消してくれたアルコールを使えなくなってしまうからです。(その意味では酒を飲んだからこそ生き残って来れたとも言えます)。
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04月20日(火)
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