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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■批判に対して
いままで最も批判を多く受けたAAメンバーは、誰あろうビル・Wだと言われています。AAの内部からも外部からも、常に激しい批判にさらされていました。(もちろん陰口やうわさ話にもさらされていました)。例えば、「ミーティングに出ていない」と最も非難されたメンバーも、やはりビル・Wであったと言われます。AA創始者としてドクター・ボブと共に「特別」な立場にあった彼が、ミーティングを普通のメンバーのように使えたわけはなかったわけですけれど。
だから、批判に対してもっとも経験を積み、どう対処すればいいか一番考えたのもビル・Wであったでしょう。彼の著作である12の概念や『ビルはこう思う』には、批判を受けた場合について、繰り返し書かれています。
批判を楽しい気分で聞いていられる人はいません。また、楽しい気分で聞かなければならないわけでもありません。
批判が的を射ていたならば、私たちはそれに対して感謝すべきです。自分で気が付けなかったことに気づかせてくれたのですから。
批判が100%真実ということは滅多にありませんが、いくばくかの真実はたいてい含まれているものです。批判は個人に向けられるときもあれば、AA全体に向けられるときもあります。たとえば、ここの掲示板にも、わざわざAA批判をしにやってくる人たちがいます。
例えば「AAはタバコを吸っている人が多い」という話は何度も出ています。おそらくその真意は「だからAAには行きたくないんだよ」というもので、AAに行かないエクスキューズが行われているだけです(自助グループに行く人は行く素晴らしさを述べ、行かない人は行かない言い訳を述べる傾向があります)。批判の真意がなんであれ、AAにタバコを吸う人が多いのは事実です。そうした継続的な批判や、医療関係者からのお小言があるおかげで、AAで何年かした人たちの中に、タバコをやめる人たちが出てくるわけです。
「近くにミーティング場がない」という話は、遠くの会場まで行きたくないという言い訳であることが多いのですが、そうした話のおかげで「やはりいずれは全国津々浦々まで会場をちりばめねばならないね」と未来の目標が再確認されます。
「神とか言っているのが人を遠ざけている」という話からは、やたらめったら信仰を語る危うさを学ぶことができます。
もちろん、批判が誤解による場合もあります。その場合には誤解を解く努力をしてみるべきですが、相手が聞く耳を持たないのなら、少し苦笑いをして忘れるほかありません。こうして私たちの謙虚さがちょっぴり鍛えられます。
AAメンバーとして最初の1〜2年は、スポンサーがビシビシお小言をくれるでしょう。あんまり危なっかしければスポンサーじゃなくても誰かが厳しい助言をしてくれます。しかし何年か経ってくると、あんまりお小言は言われなくなってきます。それは多少は回復成長があったからでもありますが、概ねは年数が経って周りが小言を言いにくくなっただけの話です。
自己満足はAAメンバーの成長を止めます。自分はよくやっている(十分良くやった)という意識ほど危険なものはありません。慢心があると、批判に敏感になり、自己防衛的な言い訳に終始して、そこから何かを学ぼうとする姿勢になりません。人はそうした姿勢を実によく観察しているものだと思います。なぜ自分の努力に相応しい、年数なりの評価が得られないのか悩みがあるとするならば、自己満足ということについて考えてみるべきでしょう。
こんなことを書くと、まるでAAをストイックな求道のように感じ、そんな陰気なやり方は嫌だと思う人もいるかもしれません。けれど、仕事であれ人間関係であれ、慢心による怠惰がトラブルの原因になっていることは多いものです。「下りのエスカレーターを逆にのぼっているようなもの」とは、回復というジャンルに限った話ではありません。生活全般、人生全般に及ぶことです。
時には頭ごなしに叱られることが必要なこともあります。そうした損な役回りを引き受けてくれる人はあまりおらず貴重な存在です。年数が経ってくればなおさらです。
03月04日(木)
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