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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■閑話
発達障害の話はまだ続ける予定ですが、ちょっと脇にそれます。

回復前の自分を振り返って、思うことの一つに「人に甘えるのが下手だった」というのがあります。

基本的に自己喪失した淋しい人間だったわけです。

人は淋しいときにどうするか? 淋しければ人と交わるしかありません。人の集まるところへ出かけていって、声を掛け、話をし、一緒に食事をしたり遊んだりすればいいわけです。しかし人に声を掛けるのは怖かったし、どんな話をしたらいいかもわかりませんでした。

例えば立食パーティーでは初対面どうしが話をするわけですが、その場合にはまず相手を褒めることから始めるのだそうです。といっても初対面の人のことはよく知らないので、ネクタイの柄でもなんでも褒めればいいのだとか。しかし、僕は人を褒めるのがたいそう苦手でした。
子供と話をしたいお父さんのための会話法というのがあります。お父さんは子供のことが知りたいので、「学校はどうだ?」「勉強は進んでいるのか?」「友だちはいるか?」という尋問になってしまいがちですが、これをやると子供は頑なになってしまいます。逆にお父さんが「会社で一緒に働いている人でこんな人がいて、お父さんはその人との間でこんな苦労があって」という話をすれば、子供も友達との間のトラブルを話す気になってくれる、といった類です。
つまり人と親しくなるには自分を打ち明ける必要があるのに、僕はそれも苦手で、やれ学歴がどうとか、仕事の専門性がどうこうという自慢話ぐらいしかできなかったのです。

AAに来た頃、ある仲間が電話番号を教えてくれました。

僕は淋しかったので、大変勇気は必要でしたが、その人に電話を掛けてみました。するとその人は気持ちよく話し相手になってくれました。僕は、今後電話するなら何時頃がよいかと尋ねると、ミーティングのない晩の9時過ぎなら良いという返事でした。
「すごい良い人だなぁ」と、僕の中でその人の評価はうなぎ登りです。僕はやがてしょっちゅうその人に電話を掛けるようになります。電話しても良いと言われた時間帯とはいえ、その人の生活時間を浸食している、ってことは少し頭をよぎりましたが、それで行動のコントロールが効いたわけじゃありません。やがて「度が過ぎるのではないか」とその人に叱られる羽目になりました。それは僕が悪いのですが、叱られた途端に僕の中でその人の評価が急降下してしまいました。
アル中さんの対人関係は、賞賛とこき下ろしの両極端だと言いますが、まさに僕もそれをやっていたわけです。赤ん坊が親に甘えるようにべったりもたれかかり、それを叱られると「僕なんか大事じゃないんだぁ〜」といじけてしまう、という構図です。

人間関係、まったく甘えを排除するわけにもいきません。歯車の間に遊びがなければ機械が壊れてしまうのと同じです。しかし、誰かをべったり甘えさせるほど許容量の大きな人はいません。結局、少し甘えを許し、少し厳しいことを言う、そのバランスが取れているあたりがちょうど良いのでしょう。

AAのキャリアも長くなってくると、しだいに逆の立場に移ることになります。ちょっと親切にすれば良い人だと言われ、ちょっと厳しいアドバイスをすれば嫌なヤツだと言われ、それに振り回されていたらこっちの身が持ちません。良い人だと言われるのも、嫌なヤツだと言われるのも、「相手の病気の症状である」と割り切ってゆかなくては。

断酒系掲示板では、さんざん悪態をついて出て行った人が、前回の詫びもなくしゃあしゃあと戻ってくるわけです。おそらく世間では許容されない行いでしょうが、そこはメンヘル系掲示板ゆえに許されるべきことなのでしょう。自助グループも同じようなものです。そうした人が、少しずつ人間関係を学び、社会性を身につけていくのも回復の一部なのだと思います。


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01月17日(日)
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