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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■クリスマスコンサート
AAの会場に部屋をお借りしている教会のクリスマスコンサートのチラシをいただいたので、仕事の合間に行ってきました。今年の8月から使わせて頂いているのですが、来年の2月まで半年間は仮許可なので、失礼の無いようにしておきたい、という思惑もありました。
演奏するのは地元の夫婦のユニットで、奥さんがアルパという南米のハープとアイリッシュハープ、旦那さんがギターとアイリッシュフルート。南米の曲を中心に、クリスマスらしい曲あり、みんなで賛美歌を歌い、子供たちが歌を唄うのを聞くという90分でした。
小さな聖堂を埋めているのは、おそらくほとんどが信徒の人でしょう。それでも「キリスト教徒でない人にも賛美歌を歌わせてしまって、ごめんなさいね」という言葉が出ていました。ひょっとしたらこのユニットのファンの人も来ているのかもしれません。
僕は特定の宗教に属しているわけではありませんが、宗教に対するアレルギーはないので、教会という場所や賛美の歌に違和感はありません。これが20年前だったら大きなアレルギー反応が起こったことでしょう。あの頃は、教会や宗教だけでなく、どこにいても自分が場違いな感じがして、居るべき場所はこの世界には無いと感じていました。今は、自分はどこにいても構わない気がします。自分はどこにいてもいいし、歓迎されなければ去ればいい、と。
ソレアードや平和を作る人を聴きながら考えたことは、最近よく考える「信じるという能力」についてです。自分を信じる(自信)、人を信じる(信頼)、神を信じる(信仰)というものは、どれも同じ信じるという一つの能力なのだと思うのです。
話は変わって、AAでは会場に教会の部屋を借りていることが多いので、その教会の人と接する機会が少なからずあります。ミーティングが始まる直前まで部屋で話をしてくれる熱心な人もいれば、廊下で立ち話をしただけの人もいます。そして感じることは、やはり神父や牧師を職業とする人たちの頭の良さです。というか頭が良くなければ聖職者にはなれないのでしょう。それだけでなく、人と接する社会的スキルなど様々な能力などなかなかハードルも高そうです。(もちろん、何にでも例外はあるにせよ)。
牧師親子の歌声はプロ並みでした。医者や弁護士は自分の子供を同じ職業に就かせようとするそうですが、牧師はどうなのか。コンピューターの中のこびとさんたちを働かせる仕事を選んだ僕を、農夫だった父はどう思っているか。それを気にしたことがありませんでした。
「信仰を持っている人たちは、人生がどういうものであるかということについて論理的な考えを持っているのだ」(p.73)
12月23日(水)
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