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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■子供が好きなのではなく利用している
AAのミーティングに出るより、家で家族と一緒にいたい、という発言をする中年おじさんアル中は少なくありません。さらに話を聞いていると、どうも奥さんとではなく、子供と一緒にいるのが楽しいという話になっていきます。一見ほほえましい話なのですが、実はこれは具合の良くなさ(精神状態の悪さ)の表れです。
職場も居心地が良くないようですし、奥さんとの関係もぎくしゃくしたまま、ということが多いからです。
人間は、自分を褒めてくれる人をいい人と感じ、自分をけなす人を悪い人と感じます。実に子供っぽい行動原理ですが、こういう根源的な部分は何歳になっても変わるところがありません。
もしその人が、職場で「あなたは仕事ができる人だ」とか「あなたのおかげで皆が助かっている」と高く評価されているのなら、彼は職場が好きになるでしょう。しかし、彼は酒でミスをしたり、休んだりして同僚に迷惑をかけてきた「負の遺産」を抱えています。信頼を取り戻すまでには長い時間がかかります。大事な仕事をまかせてもらえないだけで、彼の自尊感情は傷つき、職場に対してネガティブな感情を持たざるを得ません。
もしその人が自助グループで熱心にやっていたなら、少なくとも「彼は真面目にやっている」という評価は得られます。ビギナーが高い評価を得るのは難しくありません。ただ
例会にたくさん出席しているだけでいいのですから。しかし、こんなところに来る羽目になった運命を恨んでいるようでは、「まだ下降中」と見られるのは仕方ないことです。
では、その人の家庭はどうか?
その人の奥さんや親は「迷惑をかけた対象」であり、信頼はしてもらえません。信頼しないのが家族の健康の証です。しかし、彼はそれが面白くないわけです。
ところがここに一つの例外があります。それは子供です。子供にとってどんな親でも、親は親です。虐待によって児童相談所に保護された子供ですら、家に戻りたがります。自分に至らないところがあったので親が自分を見捨てたのだ、と小さい心を痛めるのです。
アル中さんは子供にも迷惑をかけ、傷つけているのですが、それでも小さな子供は父親と友好関係を結ぼうとします。それが彼にとって唯一「自分を評価してくれる人間」なので、「子供といる時間が一番幸せに感じる」という話になるのです。
子供にも父親に対する憎しみが当然あります。しかし、それが問題行動となって表出してくるのは、子供自身がさらに成長する時間を経てからのことです。
人間は自分が必要とされていることに満足を感じます。この場合は父親が子供を「自分の精神安定剤代わり」に使っているわけで、これも一種の虐待と言えますし、子供の心に新たな傷を重ねてしまいます。酒をやめたアル中が家にいるよりも、毎晩例会に出て、週末は大会に行っていて不在が続く方が、長期的に見れば子供にとってプラスになるのですが、具合の悪いアル中さんは(酒を最後まで手放さなかったように)子供との関係維持に固執します。何しろ子供は彼にとって「最後の砦」なのですから。
子供のいない独身の人の場合、甥や姪、あるいは世話になっている牧師や住職の子などを代役に当てているケースも見たことがあります。自分の子供ほど強い固執があるわけじゃなさそうですが、傷ついた自分をいやすために、子供という力の弱い存在を利用している点では同じです。
断酒が続けば職場での評価もそこそこ戻り、奥さんや親もそれなりに信用してくれるようになります。この頃になれば、子供を利用する動機も少なくなり、普通のお父さんたちと同程度の関わりに戻っていくのでしょう。これもある種の回復といえます。
しかし、酒を飲んでいるお父さんに傷つけられ、酒をやめたお父さんにも傷つけられた子供は、いずれ何らかの形のトラブルを起こしてそれを表現します。断酒会でもAAでも、きちんとやっていれば子供の被害は軽減できますし、起きたトラブルに対処していく能力も備わります。
しかし、回復のプログラムを経ずに年数を経た父親の場合、子供のトラブルを深刻に捉えなかったり(つまり否認だ)、「俺は依存症から立ち直った立派な人間なのに、子供たちのこのだらしなさは何だ!」と恨みを持ってトラブルを拡大してみせたりします。
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12月16日(水)
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