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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■10 years ago (9) 〜 手遅れだと言われても、口笛...
10 years ago (9) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃
日経バイト誌が休刊だそうであります。bit誌もすでに休刊。これからやってくるソフトウェアエンジニアたちは、いったいどこから情報をえるのでしょうか?
さて10年前。
農夫であった父の晩酌は決して贅沢なものではありませんでした。
ビールがあればビールを、日本酒があれば日本酒を、焼酎があれば焼酎を飲んでいました。その日の飯はまずくても、酒さえあればという飲み方でしたから、多分にアル中的ではありましたが、夕に酒を切らしていることに気づいても、決してあわてて買いに出ることもなく、仕方なさそうな顔をして寝てしまう人でありました。
金がないときはホワイトリカーをお湯で割って飲んでいました。梅酒などを造るための酒で、そのまま飲むためのものではないので、アルコール臭い、ただ酔えるだけの液体でした。父にとって酒は体を温め疲れを取るためが第一で、味を楽しむのは二の次であったようです。僕は自分で酒を買いに行くのが面倒になると、父の酒を盗んで飲んでいたので、ホワイトリカーにもずいぶんお世話になりました。
なるべく父の酒を盗むのはやめて、自分で酒を買ってこようとは思うのですが、夜中に酒を切らすとやむなく台所の父の酒を失敬するのでした。翌日の夕になって酒が減っているのを見つけると、父は「夕べは台所に頭の黒いネズミが出たようだ」とつぶやくのでした。
「頭の黒いネズミ」と呼ばれるのはとてもバツが悪いものです。浅知恵を働かせた僕は、失敬したぶんだけ瓶に水を入れ、父の酒を薄めてごまかすようになりました。焼酎やホワイトリカーはともかく、日本酒は水で薄めるととたんに味が変わります。おまけに、薄めすぎると燗をつけるときに沸騰してしまうのでした。
これには父も母も怒りあきれたものでした。
聞けば、兄は高校生の時に同じことをしたそうです。それを30才を過ぎた自分が毎晩やっている愚かしさです。
息子が精神病院に入院するようになっても、父は夕食の席で酒を飲むのをやめませんでした。別に僕もやめてくれとは頼みませんでした。
だが、10年前のあのとき、父はふっつりと晩酌をやめてしまいました。
何日か経ってそれに気づいた僕は、母に尋ねました。
「親父が晩酌をやらなくなったのはなんでなんだ? やっぱり俺に原因があるのか?」
それを聞いた母は、「お前は自分の言ったことを覚えていないのか」と僕をしかりました。
なんでも、母は「どうやったらお前の酒が止まるのか」と自分の部屋で飲んでいた僕に尋ねたそうなのです。そのときに僕は「毎晩毎晩目の前で親父に酒を飲まれて、俺の酒が止まるわけはないだろう」と答えたそうなのです。
それは単に酒が止まらない言い訳に過ぎなかったのでしょう。だが、母は真に受けて、父に「息子の前で酒を飲むのをやめてくれるよう」頼んだのでした。なんと言っても、息子はあと1ヶ月ほどで結婚式を迎え、この家を出て行ってしまうのですから、そう長い辛抱ではないと父も思ったのかもしれません。
「親父は別に酒をやめた訳じゃないだろう。晩酌の代わりに寝床でウィスキーを飲んでいるんだから。こそこそ飲まないで堂々と晩酌をしてくれればいいんだ。冷たい酒は親父も好きじゃないだろう」
僕は父母の寝室から偶然のぞいた光景を、僕は言葉にしてしまいました。
寝室で酒を飲んでいることを息子に知られたと知った父は、その日から寝室で酒を飲むことすらやめてしまいました。
完全な禁酒に入った父とは対照的に、息子の僕の酒は止まりませんでした。
数日後、野菜を出荷しに行った市場で、父が意識を失って倒れたという報が母の元に入りました。珍しく僕は朝から仕事に行っていて、夕方までそれを知りませんでした。市場の人は救急車を呼んだそうですが、その到着より早く意識を回復した父は、運ばれるのを拒み、駆けつけた母の車に乗って自宅へと帰ってしまいました。
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11月01日(火)
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