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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■10 years ago (1) 〜 手遅れだと言われても、口笛...
10 years ago (1) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃
AAの30周年集会を前に倒れた仲間の話が伝わってきました。また、東京の仲間の訃報もありました(たぶん知らない人ですが)。人間いつかは死んでしまう。それは避けられないことです。でも、淋しくはなります。
うつでしんどかったのですが、病院メッセージに行きました。半年ぶりであります。以前は毎月通っていたこともあるのに、すっかり足が遠のいてしまいましたが、僕が最後に入院した病院であり、母校のような懐かしさすら感じます。
10年前の3月に僕はAAのメッセージ色の濃いミーティング会場に顔を出しました。生まれて初めてのAAでした。その会場を守っていた人のホームグループのミーティングに誘われ、僕は運転免許を取って初めて峠を越え、AAミーティングに定期的に通うようになり、飲まない生活を得るのですが、それも5ヶ月で失ってしまいました。
ミーティングに顔を出すたびに、「飲んじゃいました」という報告をし、黄色いワンデイメダルを何個ももらい、「もう要りませんから」といって断っていたりもしました。「飲んじゃった」を話すたびに、「ひいらぎからは大きな力をもらっているよ」と仲間から言われていたりしました。
あの頃、翌年3月の入院に向かって坂を転げ落ちていった10年前、ふとあの頃のことをできるだけ思い出してみようという気持ちになりました。というわけで、これから来年の春まで、断続的に「10 years ago」と題したシリーズを書いていくかもしれません。ちなみに、僕は佐野元春のファンではありません。副題はなんとなくであります。
8月にはもう再飲酒していましたから、9月にはもう仕事に行くのも苦痛な状態になっていました。その時に東北出張という仕事が舞い込んできました。生産設備の移設の話でありました。
ちょうど酒を止めていた5月頃、僕は地元の大手電器メーカーに液晶パネルの検査装置を納めていました。飲まずに電気(配線と制御)屋さんと打ち合わせをし、飲まずにメカ(機械)屋さんのところで調整をしたおかげで、僕のたずさわった機械の中では珍しくノートラブルで立ち上がった機械でした。
その設備を秋田の角館にある下請け会社に移管するという仕事でありました。もっとも、機械自体は大きな物じゃないので、分解せずに日通のトラックに収まるおかげで、現地で調整作業は不要でした。僕がついていくのは「何かトラブルがあった時のための保険」であり、「なにかあった時に長野から呼び寄せたのでは遅い」から付いてこいという指令でありました。
僕にとっては3泊4日、東北へぶらぶらしに行くだけの出張になりそうでした。主治医に話すと「角館は東北の小京都と呼ばれて、いいところですよ」と教えてくれました。
設備移設担当者は、その大手メーカーの中でも設備担当の遊軍として有名な二人組でありました。僕が勤める会社の社長は、この二人に随行する僕に「接待をしろ」「営業をかけろ」という業務命令を下したのでありました。
もっとも、営業が専門の僕じゃありませんから、そんな高度な営業ができるわけもなく、ただ「酒を飲ませ」「飯を食わせ」て、仕事の話をしてくればいいというだけのことでした。
社費として必要経費の他に、十数万円の現金を預かりました。それまでは、雑誌の取材で行ったSという関西系のメーカーの栃木工場が「最北の地」でしたから、見知らぬ秋田の地に胸躍らせて出かけたのでありました。
当日朝、ターミナル駅に全員集合し、特急「あずさ」の指定席に収まった一行4人(例の二人に下っ端一人、それに僕)は、僕が気を利かせて買ったビールのロング缶で乾杯しました。もっとも、気が利いていると思っていたのは僕だけかも知れません。でも、その日は移動だけで終わるわけですから、列車の中でビールを飲むのは自然なことだと思ったのです。そして僕だけが、車内販売で追加のビールを買って飲みました。
東京駅へ移動して、東北新幹線に乗り換えでした。そこでも僕はビールのロング缶を4本買って皆に配ろうとしたのですが「ビールはもう要らないよ」と断られてしまい、結局一人で全部飲むことにしたのでした。
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09月11日(日)
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