ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■翻訳企画:AAの回復率(その5)
3年目の終わりまでに40人が回復した。
4年目の終わりまでに100人が回復した。
5年目の終わりまでに400人が回復した。
6年目の終わりまでに2000人が回復した。
7年目の終わりまでに8000人が回復した。
アルコホーリクス・アノニマスは、彼らの方法に真剣にやってみる者(強調追加)の75%が回復すると主張している。
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「彼らの方法を真剣にやってみる者」という限定条件が加えられていることに注目して欲しい。75%の回復率は、候補者全体のサブセット(部分集合)に対して適用されたものである。
1944年5月−(文脈を考慮に入れれば)さらなる限定条件が、ニューヨーク州医学会での講演のリプリントに登場した。その中でビル・Wはこう語っている。
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アルコホーリクス・アノニマスはかつてアルコホーリクだった男女12,000人の形式ばらない共同体で、お互いに団結し、アメリカ・カナダの各地域で325のグループを作っています。各グループの大きさは半ダースから数百人です。一番古いメンバーは8年あるいは10年近く断酒を続けています。
心から酒をやめたいと思った人たち(強調追加)の50%はすぐにやめられました。25%は何度か再飲酒した後にやめ、残りのほとんどにも改善が見られました。私たちのメンバーのおそらく半数は、酒飲みになる以前は、普通の人と変わらない生活をしていました。残りの半分はおおむね神経症患者と見なされてきた人たちです。
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もう一度「心から酒をやめたいと思った人たち」という文脈を心にとめて欲しい。さらに別のところでも、専門的な出版物にAA情報を提供する中で同じ表現が登場している。
1947年6月−“Survey Midmonthly”誌に掲載された「問題飲酒者」というタイトルの記事でこう述べられている。
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タイム誌の2月号によると、AAは設立から13年で、国外のカナダ・ラテンアメリカを含めて1,200の支部を持ち、毎月千人の新しいメンバーを獲得している。メンバーからの献金で運営され、オフィスを持たず、会費もなく、大きな財源もない。メンバーは他のアルコホーリクを助けることを誓っているが、求められたときだけ手助けしている。無名性はこの組織の重要なルールであり、新しいメンバーを参加しやすくさせている。
タイム誌の報告するところでは、AAメンバーのおよそ50%は参加してすぐに酒をやめ、25%は1回か2回のスリップの後に成功した。これは、5パーセントを除くアルコホーリクは以前には回復は絶望的だと見なされていたのとは対照的である。13
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13. 後に再版されたものからは、回復率とメンバー数についての数字を含む段落は除かれている。
引用された成功率には限定条件が付いておらず、すべての候補者に適用できる数字であるかのように示されている。
1949年4月−“Survey”のこの号には以下のような抜粋が掲載されている: 14
14. 1949年4月 “Survey”「アルコホーリクの希望(Hope for the Alcoholic)」 Kathryn Close
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二人の常習的飲酒者がオハイオ州アクロンに種を撒いた。一人は医者、もう一人はブローカーだったが、どちらもアルコールの嗜癖によって経歴を台無しにされ、家庭も崩壊寸前だった。二人は聡明な人間として懸命に戦っていたが、飲まないでいる間に協力するようになるまで、成果を出すことはできなかった。だから彼らは、飲んだくれは別の飲んだくれを助けなければならないと決意した。そのアイデアがこんにちの有名なアルコホーリクス・アノニマスへと成長した。それからの年月、かつては大酒飲みだった二人は彼ら自身の継続的な断酒を達成するだけでなく、他の者たちも同じ目標を遂げるよう助けてきた。
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01月29日(木)
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