ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■翻訳企画:AAの回復率(その6)
ビッグブック初版に掲載された29編の物語のうち、22編が第2版に引き継がれなかった。この数字は、それらの物語はメンバーが飲酒に戻ってしまったから外されたのだ、という誤った伝説を生む原因となってきた。現実はその正反対である。22編の物語は、単にその時点(1955年)でのAAメンバー構成をより良く反映するために差し替えられたのだ。

・ビル・Wによるビッグブック第2版の物語の序文によると、ビッグブック初版に物語を掲載した29人の初期メンバーのうち、76%(29人中22人)がAA20周年(1955年)に断酒を続けていた。

・初期メンバー29人中7人(24%)は飲酒に戻ったが、後に再び断酒した。他の7人(24%)は飲酒に戻ったまま再び断酒することはなかった。

ここに表されたものが、「50%+25%」の成功率の主張を明確に支えるデータとして唯一のものである。その範囲は3つのグループ(アクロン、ニューヨーク、クリーブランド)に限定されており、そのサンプル数(29人)は1939年4月時点でのAAメンバー数推定100人の約30%となっている。

1958年4月−ビル・Wはニューヨーク州医学会でアルコホリズムについて講演を行った。17 その中で、AAの初期の歴史についてこう述べている。

17. ビルの1958年4月のスピーチはAAパンフレット(P-6) “Three Talks to Medical Societies” c AAWS, Inc. に収められている。

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私たちが次に必要としたのは広報でしたが、それには協力が得られました。1939年には著名な編集者でライターでもあったFulton OurslerがLiberty誌に記事を書いてくれました。翌年には、John D Rockefeller, Jr,がAAのために夕食会を開いてくれ、そのことは広く取り上げられました。その次の1941年には、Saturday Evening Postが特集記事を掲載してくれました。その記事によって何千もの新しい人たちがやってきました。私たちは数の上でも、有効性の点でも成長し、回復率は向上しました。

AAに真剣に取り組んだ人の(強調追加)かなりの割合はすぐに酒がやめられ、その他の人たちも最終的には酒をやめました。残りの人たちも、AAに留まっている限り、確かに改善が見られた。私たちの高い回復率はその後も保たれており、それは『アルコホーリクス・アノニマス』の初版に体験記を載せた人たちについても言えます。彼らの75%は最終的に断酒を成し遂げており、死あるいは狂気に至ったのは25%に過ぎません。現在も存命の人たちの断酒期間は平均して20年になります。

AAの初期から今まで、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人がそうでしょう(強調追加)。しかし幸いにも、彼らの大多数はやがて戻ってくることが分かりました。ひどく精神病質であったり、脳にダメージがなければですが。死をもたらしうる病気に取り憑かれていることを、他のアルコホーリクの口から一度聞かされると、その後の飲酒が彼らを行き詰まらせるのです。結局彼らはAAに戻って来ざるを得ません。そうするか、死ぬしかないのですから。これは時には最初の接触から何年か後になります。ですから、AAにおける最終的な回復率は、当初考えられたよりすっと高いのです。
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ビル・Wの1958年の講演では、50%という数字は「かなりの割合(a large percent)」で置き換えられている。ビルがまたAAにやってきて去って行った候補者について述べていることに着目して欲しい。75%の回復率は、ビッグブックの初版に体験記を載せたAAのパイオニアたちに限定されている。

ビルの説明の中で、さらに有用と思われるのは、「AAから今まで(1958年)、たいへん多くのアルコホーリクが私たちのところにやってきて、そして去って行きました――おそらく今日では5人中3人(つまり60%)がそうでしょう」と述べている部分だ。AAの歴史のこの時点では、ビル・Wが報告した成功率を確認するものも、論破するものもない。単に記録がないのである。

1960年4月−ゼネラル・サービス評議会での発表で、ビル・Wはこう述べている。

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01月30日(金)
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