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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■AAはAA、断酒会は断酒会
スポンサーという言葉は日本では経済的な援助をする意味で使われますが、AAのスポンサーは本来の英語の意味(引受人の意)で使われます。AAの回復の原理は「12ステップ」に表されていますが、12ステップに取り組むのにスポンサーは欠かせないものです。AAに真面目に取り組む多くの人たちが、指導役たるスポンサーを持ち、一対一の関係の中でアルコホリズムから回復していきます。ただし、その関係は個人的なものであるだけに、公けに目立つことはありません。
このように「言いっぱなし、聞きっぱなし」だけに着目するのは片手落ちです。AAにおいてはスポンサーシップが回復をリードする(lead = 導く)役割をしています。スポンサーというのはリードする者(指導者)です。どのようにリードするかはそれぞれのやり方があるでしょうが、導く者とそれについていく者という関係が確かにAAの中にあります。また、本来の断酒会の例会は「言いっぱなし、聞きっぱなし」ではないことによって、例会そのものが回復をリードする(導く)場になっています。
ところが「言いっぱなし、聞きっぱなし」さえあれば十分だという考えの人たちが、AAの中にも外にもいます。導かれたくない人もいるし、回復に導きは不要だと考える人もいます。「言いっぱなし、聞きっぱなし」だけの場を作りたい人もいるし、実際それを作る人もいます。それはその人の自由でしょう。しかし、AAは「言いっぱなし、聞きっぱなしだけではない」ところです。
松村春繁が、高地で断酒会を始めたのは、下司孝麿医師にAAの存在を教えられたからだそうです。その後、彼は全国を回って断酒会を組織し、全日本断酒連盟の初代会長となります。彼は断酒会をAAの日本支部として認めるようにNYのGSOと交渉をしますが、GSO側ではAAの12のステップや12の伝統をそのまま採用することを求めました。それが日本人の気性に合わないと考え、断酒会はAAに合流することを諦めました。これが1960年代のことです。それ以降、断酒会とAAは別の道を歩むことになりました。日本で現在のAAが成立するのは1970年代になってからです。
断酒会がAAを参考にして作られたのは間違いありません。後に作られた「指針」と「規範」が、AAの12のステップと12の伝統の影響を受けているのも、その類似性からして明らかです。しかし、文化の移入がAA→断酒会の方向にだけ行われたと考えるのは誤りです。
断酒例会は「酒害」を語るところとされます。また「例会は体験発表に始まり体験発表に終わる」と松村語録にあります。「酒を飲んで酷いことをしてきた過去の自分」を語ることが推奨されます。しかし、本来AAではこの類の話はドランカローグとして避けられる傾向があります。AAのミーティングは「経験と力と希望」すわなち12ステップを伝える場であり、ステップの経験が望まれるところです。ところが、日本のAAではドランカローグ(飲酒譚)が好まれる傾向があります。これは、酒害や体験発表を軸とした断酒例会の影響を日本のAAが受けているため、と考えられます。
日本においてはAAは断酒会よりずっと後になって成立しました。AAグループが誕生するところでは、すでに断酒会が活動していることも珍しくありませんでした。AAのやり方をよく知らない人たちが、断酒会のやり方を取り入れ、それが「AAのやり方」として後の人たちに受け継がれていったことが少なからずあるはずです。
AAも断酒会も似ている部分があります。みんなで集まって順番に話をするところなど、そっくりです。しかし、どうやって回復を導くか、やり方はずいぶん違います。AAはAA、断酒会は断酒会です。似ている部分もありますが、違っているところも多い。違いは理由があって生じたものです。違っていなければ、別々に存在している意味がありません。
AAは「言いっぱなし、聞きっぱなし」だけでは成り立ちません。スポンサーシップがあればこそです。「言いっぱなし、聞きっぱなし」の部分だけに着目するのは、木を見て森を見ずです。
10月11日(金)
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