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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■AAの共同体とは(その4)
評議員はAAの中の重要な役割ですから、依存症からしっかり回復していて、AAのことに詳しく、AAのサービス活動に割ける金銭的・時間的・体力的な余裕がある人が望ましいわけです。しかも、そういう候補者を何人も立てて、選挙で選抜しよう考えでした。(任期は二年で再選不可なので、毎年10人ずつ必要)。

最初の頃は各地域から熱意に溢れる評議員が選挙されていました。しかし数年すると、立候補者が定数に足りないという現象が起きるようになりました。立候補者をたてるのに汲々とし、昨今ではいったん評議員を経験した人を「代理」として送ることが常態化しています(再選不可の形骸化)。

メンバーが評議員という役目を引き受けたがらない(評議員以外の様々な役目も同様)、という状況に対して、古いAAメンバーから「最近の人たちはAAへの感謝が足りない」という批判が出ることがあります。しかし僕は、そうした「自己犠牲が足りない」という批判は的外れだと思います。

評議員としてAAに自分を捧げられるメンバーは、AAの中にもともと多くはありません。評議員候補者というのは限られた資源なのです。最初に20人の評議員による評議会を作り、毎年毎年10人ずつ新しい評議員を必要とする仕組みは、日本のAAには過大すぎました。だから、早晩資源を使い果たし、可能な候補者全てを使っても足りないという事態を招いてしまったのです。

1995年頃に評議会システムを設計した人たちに話を聞くと、やはり作った仕組みが過大だったという反省はあるようです。でもその時も、将来AAが発展して、メンバーもグループ数も増え、評議員の役割を担う人々も次々出てくるだろう、という楽観的な予想があったと言います。

7つのセントラルオフィス、毎年10人ずつの評議員。どちらも、制度を設計した人たちは、それが大きすぎるのは重々承知の上で、将来AAが発展することを期待し、うすうす無理を承知しながらあえて大きな仕組みを作ったということが分かります。それは、子供が成長するのを見越して、大きめの服を買う親の心理に似ているのかも知れません。しかし、あまりにサイズが大きすぎ、しかも期待通りに成長してくれなかったので、今でも不釣り合いなほどブカブカの服を着ているのが日本のAAです。

制度を修正する必要があるのでしょう。AAが発展を続けるという過去のビジョンにしがみついている人たちからは大きな反発があるでしょうけれど。

日本のAAグループ数は550を越えました。グループ数は毎年増え続けています。しかし、メンバー数が増えているかは疑わしいものです。たぶん、グループ数が増える一方で、1グループあたりのメンバー数は減少し、結局総メンバー数は増えていないのじゃないかと思います。

増えていないという根拠のひとつは、オフィスへの献金が増えていないことです。それはおそらく、グループは増えたけれど、献金をするメンバーは増えていないということでしょう。また、BOX-916というAAの月刊誌の売り上げも、2004年をピークに減ったままです。

献金したり、BOX-916に親しんだり、というのは、AAプログラムに関心を持ち、AAプログラムに感謝を表す行動です。いわばAAプログラムの恩恵を得た人たちの行動です。グループが増え、会場が増え、ミーティングに参加する人たちは増えているのでしょう。自らをAAメンバーだと名乗る人の数も増えているのでしょう。しかし、AAプログラムの恩恵に浴した「中核的な」AAメンバーの数は増えていない、それが献金やBOXの売り上げ停滞・減少につながっていると思います。

ひとつ確かなことは、AAの中でプログラムが薄まっているということです。薄められたプログラムは効果を失い、やがてはメンバー数増加が停滞し、減少へ向かう、というのが先行するアメリカでの経験です。日本AAのメンバー数の増加ペースは鈍り、おそらくはすでに停滞しています。やがてメンバー数の減少が始まるでしょう。あちこちのグループが潰れ、ミーティング会場が閉鎖されていく・・そうなったときに、状況を反転させるだけの力は日本AAに残されていないだろうと予測します。


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09月05日(水)
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