ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■バック・ツー・ベーシックス騒動(その3)
また、そうした本をミーティングで使わないようにというお触れも出たようです。それらの本はミーティングで使われてAAメンバーに親しまれており、廃止には抵抗もあったようです。ハッキリとはしないのですが、当時、マックとの関係をある程度維持しようとする一派と、AAの完全なる独立を達成しようとする一派の間で、せめぎ合いとでも言うべき事態があったようです。だから、そうした本を使っているミーティングを訪れて注意することも行われたと聞きます。(AAが統治機構を持たないとは言え、改革期には極端なことも行われたということでしょうか)。

特に『一日24時間』についてはAAメンバーの愛着が強く、どうしてもミーティングで使い続けたいと考えた人も多かったようで(僕も良い本だと思います)、廃止後には海賊版も出回り、翌年には横浜のホームカミングがヘイゼルデンから版権を取得して新規訳出となりました。その他の本も、人気の高かったものは現在は概ねどこか他から手に入りますが、もはやそれらがAAミーティングで使われることもありません。

1980年代、90年代は、日本AAのサービス機構が整備されていった時代です。関東常任委員会やゼネラル・サービス・ミーティングが始まり、日本AAの創始者たる二人の神父にかわって、AAメンバー達がAAのことを決定できる仕組みが整っていきました。

東京の都心部のAAは「中央」「城東」「城西」「城北」「城南」の5つの地区に分けられていますが、その地区わけの際に、境界をまたいで別の地区にミーティング会場を持っていたグループは、その会場を閉鎖したり、別のグループと会場を交換して、地区境界をまたがないようにするように言われたところもあったそうです。

当時のWSMの資料を読むと、「AAならぬもの」の影響を取り除こうとしているのは日本のAAに限らないようで、例えばバースディで贈られるメダルをAA公式のものでないと認定したり、AA以外の本をオフィスで取り扱うべきではないという話などが、伝えられています。日本のAAの動きもそうした世界的な潮流に沿ったものだったと言えます。

施設に関わってみると分かりますが、施設スタッフは利用者に大きな影響を持ちます。(利用者に何の影響も与えられなかったら、そのほうが問題です)。そしてその影響力は施設を出た後も続くものです。だから、施設から人がやってくる限り、グループは施設の影響を被ることになります。

AA独立派の人たちは、そうしたマックの影響を排除するのに懸命だったようです。前述のようにマック由来の書籍を排除するばかりではなく、例えばマックのステップセミナーのチラシをAAミーティング内で配ることを禁じたり、施設内のことについて明示的に話すことを諫める雰囲気を作っていきました。

まるでマックのことはAA内では禁忌であるかのように。

もうおわかりでしょうか。バック・ツー・ベーシックスを使った鴨川の集いについて、異を唱えていた人たちは、マックの出身者やその支持者が多かったのです。彼らにしてみれば、自分たちの愛する書籍はAAから排除され、世話になったマックのセミナーについて仲間に広報しようにもチラシを配るのすら苦労するという受難を味わったわけです。(AAとマックのプログラムは同じなのに!) その一方で、バック・ツー・ベーシックスが許容され、鴨川の集いのチラシは配って良いどころかAAの月刊誌にもその広報が掲載されている。この違いが納得できない(理屈はともかく感情が)、といういうのが本当のところだったのだと思われるのです。

10年、20年以上前に起きたAAとマックの分離運動で発生した感情的なしこりが、時を経てそんなところで噴出していたとは。

分離活動については「AAの人たちは、その本流をマックから取り戻した」と外部の人が評したそうですが、これまで見てきたようにそれは簡単なことではありませんでした。それでもまだ、日本AAは始まって10年も経たないうちに施設から分離独立することができたので良かったとも言えます。


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04月12日(木)
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