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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■恨みの感情は人の心に何をもたらすか
相手を恨んでいれば、気分を支配されてしますが、それは嫌な体験です。酒や薬やギャンブルで、その嫌な気分を解消するのも一つの手段です。しかし依存症になってしまうと、その手段は使えなくなります。すると人は別の手段に手を出します。

なんとか支配されている気分をごまかさなければならないので、例えば「腹を立ててはいないが、相手を軽蔑している」という言い訳を自分にします。しかし、この場合の軽蔑とは、恨みを別の言葉で言い換えただけで、なんとか気分を支配させないぞと強がって見せているだけです。

「自己憐憫」は相手に対する恨みが自分に向かった状態です。おつりを取り忘れたとき、自動販売機を恨むわけにもいかないので、自分を恨むのです。相手が人の場合には、相手との力関係で恨みづらいとか、自分の側の落ち度に自覚的の場合に、恨みは相手ではなく自分に向かって自己憐憫となります。(この場合、実は相手を恨んでいることを自覚することから始めたほうがいい)。

ありがちなのは、例えば親や職場の上司や同僚に恨みの感情を持っている人が、自分と同じ立場の人(例えば自助グループの仲間)に対して恨みを持っていないと主張することです。普通はそういうことはあり得ません。というのも、回復以前の恨みがましい人は、自分の周囲360度の人にまんべんなく恨みの気持ちを持っているものだからです。(なぜなら、問題を抱えているのは周囲の特定の誰かではなく、その人自身だからです)。

しかし、その人は恨みの感情が自分を傷つけ、相手との関係も悪くしてしまうことを体験的によく知っているものです。同時に、自助グループはその人にとって「大切な居場所」であり、社会の荒海を渡っていくための船着き場みたいなものです。だからそこで居づらくならないように、グループの仲間に対して恨みを持たないように気を使います。恨みを持ったとしても、そんな自分をなんとかごまかそうとします。

そうした自己流の対処法は、たいていうまくいきません。一つには、そこで堪えたぶんだけ、仲間以外の人に対してより恨みがましくなります。もう一つは、結局そのグループにもやがては居づらくなります。すると今まで「大切な仲間」と言っていた相手に対して、失望したなどとして評価が180度反転します。こういう人は、何年もかけて、あっちこっちの自助グループを転々としている場合が多いのです。まさに「自分に正直になれない」人というのは回復の率が低いのです。

人はどんなに好きな相手にも、同時に恨みの感情を持っているものです。そういうアンビバレントな存在なのです。だからこそ、そういう偏った表を書いてきた人には、実は仲間のことを大変恨んでいるということに気づくようなガイダンスをしてあげなければなりません。そうしなければ、その人が自分の本当の姿を見ることができなくなり、回復が難しくなります。また、どんなに恨んでいる相手に対しても、その相手のことを評価し、認めている部分も発見します。

好きであると同時に嫌いでもある。白であると同時に黒でもある。人と人との関係とはそういうものだと納得することが大切なことだと思います。

怒りや恨みは大変強いエネルギーを持った感情であり、大きな被害を受けた人が、恨みを生きるエネルギーに転化している場合もあります。生きるために、恨みのエネルギーしか頼るものがない場合もあります。しかし、見てきたように恨みの感情は自分自身を蝕むものです。最初は頼りになった酒や薬が、やがて自分を蝕みだしたように、蝕まれていることが分かっていても酒や薬がやめられなかったように、頼りになった恨みの感情が、やがては自分を蝕みだし、それでも恨みを手放せなくなってしまうことは多いものです。

光市母子惨殺事件の上告棄却について、被害者の夫の方が記者会見をしていました。最初の頃は、妻と子どもを殺された恨みがこの人の人生を支えていたことは間違いないでしょう。しかし、いつまでも恨みを頼って生きていくことはできません。変わってしまった人生から、また新しい物語を紡いでいくには、別のものが必要です。もちろん、そうした変化は容易なことではなかったでしょうが。


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02月28日(火)
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