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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■混ぜるな危険的AC論
だから、AAの12のステップでは、親に対する憎しみを特別扱いすることはありません。親への恨みも、その他の人への恨みと同様に扱うし、当然親に対する埋め合わせも回避しません。そんなことをすれば、12ステップによる回復がおぼつかなくなるからです。「恨み」には他者に責任を転嫁するために使われる側面があります。それをやっている間は回復できません。

あなたはACだから、という理由で、親に対する恨みを免責してしまったり、親への埋め合わせを回避させてしまうと、その人の回復の手助けするのではなく、足を引っ張ることにしかなりません。

ジョー・マキューの『回復の「ステップ」』(通称赤本)は、1990年の出版ですが、これは12のステップをアルコールや薬物の依存ばかりではなく、ACや家族の問題にまで拡張した意欲作であり、ある意味ジョーのステップのプレゼンテーションの究極です(だからこそ日本でも多くの愛用者がある)。しかし、そこでも親との関係を例外扱いすることはありません。

とは言うものの、まったくAC性を無視して良いか、となるとそうではありません。AAの12のステップは、他者をなじることをやめ、責任を自ら引き受け、他者への奉仕を通じて自尊感情を育てていく構造になっています。これは社会適応性を向上させるので大変良いのですが、「自分の必要をないがしろにして、優先して他者の必要を満たそうとする」というACの思考パターン・行動パターンを助長する側面を持っています。

だから、AC性を持った人が12のステップをやると、アディクションが止まるのは良いのですが、数年すると苦しくなってくるということが起きます。だからこの時点でACとしてのケアをすればいいわけです。ACのグループに通い、ACとしての12ステップをやればよい。それはアディクションにならなかったACの人たちに遅れて合流するということです。

まず、アディクション本人としての回復のステージがあり、次にACとしての(あるいは家族としての)回復のステージがある。このような構造化が必要なのですが、いままでそれがなく、本人性もAC性もごっちゃごちゃにされています。

よくある誤解は、ACが原因となってアディクションに発展したのだから、まずACの問題について扱うというやつです。なにが原因で依存症になったにせよ、依存症の問題を第一のものとして扱うのが基本です。なぜなら、酒や覚醒剤をやっていたのでは、ACとしてのケアもあったものではありません(それはギャンブルなどのプロセス系でも同じ)。きちんとアディクションを止め、安定させることを優先し、その上でAC性に取り組まなければなりません。

日本のACグループがいまいち発展してくれないのは、まだまだ本人性が強く、酒や薬その他のアディクションから未回復の人たちが、ACグループに送り込まれて混乱を招いているからだと思います。それを送り込んでいるのは、実はアディクションの支援者たちだったりします。

ACであろうとなかろうと、親による虐待を経験し、トラウマによるフラッシュバックがステップに取り組む妨げになるという場合には、12ステップよりもトラウマ治療を優先すべきです。最近は暴露療法ばかりでなく、EMDRという良い治療法も日本に導入されており、実施するお医者さんも増えていると聞きます。EMDRですっかり良くなってしまったというのなら、そもそも12ステップは必要なかったという話にもなります。

ACであろうとなかろうと、親に対する恨みは強固な場合があります。そのあまりの頑固さに辟易してしまい、「ACだから」という理由付けをしてその問題を回避して通ろうとするのは、ステップを援助する側が陥りやすい落とし穴です。だからこそ、その誘惑に負けてはいけません。ガンの手術をする時に「面倒くさいから(例えば肝臓の裏側にあるから)」という理由で病巣を取り残す外科医はいません。そんなことをすれば再発間違いないからです。しかし、アディクションではしばしばそういうことが行われます。


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01月31日(火)
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