ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■回復施設の抱える困難
しかし相対的にステップなどの依存症治療の比重が下がったことは否めません。回復施設の専門性が、依存症分野にではなく、重複障害のほうに発揮されてしまうのは、手放しで喜べないことです。というのも、重複障害を抱えた人たちは場合によっては何年も施設にとどまります。結果として施設がそういう人たちであふれてしまい、上に書いたようなスタッフの疲弊を招いています。
施設から回復者が次々と生み出されれば、世の中に回復者が増えることで回復を容易にする様々な相乗効果が期待できます。しかし施設の回転率が落ちてしまえばそれも期待できません。もとより、施設の専門性が「依存症以外の分野」に発揮されることで、依存症に対する誤解を増やす恐れすらあります。(依存症以外の問題が依存症の問題だと誤解される)。
なにがこうした事態を招いてしまったのか考えてみます。
まず第一は、重複障害という難しい問題は、医療機関が責任を持って面倒を見るべきことなのに、それが回復施設に任されてしまっていることです。医療機関で対応することが難しければ、公的に専門の機関が作られるべきです。
また、回復施設の経営上の都合もあるのでしょう。一ヶ月や三ヶ月という短期でプログラムを終えて退所させていくと、施設の稼働率を気にしなければならなくなります。退所者のぶんだけ、新規顧客を獲得する努力が必要になります。その点、生活保護なり自立支援法という資金の出所がある長期入所者の存在は、施設の経営を安定させるメリットがあります。ただし、これについては、回復施設の経営戦略を責めるのではなく、施設の経営基盤の脆弱さが放置されていることを社会の問題にすべきでしょう。
重複障害を抱えた人が存在する以上、誰かがそれに対処する必要があります。
しかし回復施設という社会資源のかなりの部分が、そのために費やされているのは望ましいことではありません。
しかも、それが重複障害ならともかく(その一つには依存症が含まれるのでいい)、依存症とは言えない人たちまで引き受けることになっているケースも見受けられます。そうなってくると、ますます何の施設なのか分からなくなってきます。
学会の信田さよ子先生の講演の中に、1970年代、80年代の医者たちは、依存症治療という難しい分野を開拓していこうという気概があったものが、90年代から風向きが変わりだし、病院を辞めてクリニックを開業して回復の容易な中年サラリーマンアル中のデイケアばっかりやっているという批判がありました。そうした変化も、この状況を招いた一因と言えなくないでしょうか。
07月28日(水)
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