ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■10 years ago (9) 〜 手遅れだと言われても、口笛...
しっかりした検査のできる大きな病院に行こうという母の意見を聞き入れず、父の行こうとした医者は近所に開院したばかりの内科診療所でした。後年になって母が言うには、父は大きな病院に行って入院するのが嫌だったのだろう、野菜の世話ができなくなるのが嫌で、入院施設のないところにこだわったのに違いないというのです。僕もそれは父らしい考えだと思います。
結局夫婦は意見を譲歩し合い、それなりの検査設備のある個人医院にかかりに行きました。
診断は心筋梗塞。入院すべきかどうかは自宅で安静にして数日様子を見てから、必要なら大病院に紹介する。たばこは厳禁。お酒は血行を良くするので一日一合までならよし。という話でした。
これで父も一合だけ酒を飲んでくれるだろうと思うと、自室で隠れて酒を飲んでいた僕の罪悪感も少し軽くなりました。しかし、翌日起きてみると、父は酒は飲んでいなくて、かわりに灰皿に何本かのたばこの吸い殻がありました。「医者の言いつけを守っていない」と母は父を責めました。
その日の晩は、母は僕の息が酒臭いことはとがめずに、僕と二人で父を入院させた方がいいか、させるのだったらどこの病院がいいか相談していました。寝室で寝ていた父が起きてきて、どうしても体が冷えてしかたないので今夜は居間のコタツで寝ると宣言しました。僕と母はコタツを明け渡して、それぞれ寝室に下がることにしました。
「親父、一合だけだったらいいんだ、一合だけなら体にいいって医者も言ってるんだ」
記憶はすでにぼやけて曖昧ですが、おそらくそれが父と交わした最後の会話になりました。
翌朝、体から酒が切れて苦しくなって不必要に早く目が覚めた僕は、すでに明るくなっているものの酒を買いに酒屋まで出かけるか、それともお勝手から父の酒を失敬するか、迷いながら廊下へと忍び出ました。
どっちにしても、居間のコタツで寝ているはずの父にばれるとバツが悪いです。父が起きていないか、確認しないといけません。そっと居間の戸を開けて覗き込んでみると、父がおかしな姿勢で寝ていました。前の年に祖母が亡くなったときもそうでした。そんな格好で寝ていたら苦しいだろうという姿勢で人が寝ているときは、もうその人の寿命が尽きた後なのです。
コタツの脇の灰皿には数本の吸い殻が残されていました。
母を起こしに行きながら僕は、禁断症状で体は苦しいけれど、これからまた飲んで寝るというわけにもいきそうにない、どうやら苦しい一日が始まったようだと感じていたのでした。
11月01日(火)
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