ID:1488
頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■3つの3月31日
  春のある日

 何となく生まれた日々と
 何となく育った街が
 夢の中ひとりっきり
 追っかける風と共に

 忘れかけた手作りの歌
 声をあげ風が歌う
 みんなみんな寂しいんだよ
 あんただけじゃないんだよ

  誰かが呼ぶ春の声
  人でなしのか細い声

 春を呼ぶ数々の日々
 春を待つ寄せ合いの街
 雇われた幸せ売りが
 色褪せた口笛を吹く


1977年3月31日、ぼくは博多の街をうろついていた。
職を求めてである。
大学進学を特に希望していたわけではないが、それでもいちおう大学を目指して1年間やってきたので、その失敗はぼくに重くのしかかった。
生まれて初めて味わった挫折と言ってもいい。
その当時、この挫折に耐えきるほどの精神力を、ぼくはまだ持っていなかった。
そのせいで、ぼくはそれから起こる出来事を、すべて挫折感というフィルターを通して受け止めるようになる。

さて、26年前の今日。
職を求めて、とは言いながらも、実は放心状態だった。
博多駅を降りたぼくは、筑紫口側に出た。
そこからずっと歩いて工場街に出た。
空は曇り、吹く風は冷たかった。
そこにある春は、空に鳴くヒバリの声だけだった。


  春のようなしぐさ

 春に舞う鳥になれたら
 いつもぼくは君のそばにいて
 二人で空を翔んでは
 ありったけの愛を歌う

 こんなひとときにも君は
 苦労性に体を動かす
 「それでもいいよ」という君を見てると
 ぼくはとてもやりきれなくて

  笑いながら日々を過ごせたら
  こんなにいいことはないのにね
  それはこの上もない
  幸せだけど

 春のようなしぐさで
 日々を過ごしたいもんだね
 それは届かない夢だろうけど
 こんな小さなひとときだけでも

1982年3月31日、ぼくは小倉の街をうろついていた。
あれから5年経った。
東京ではしゃいでいる間に、挫折感というフィルターはどこかに飛んでいってしまった。
かといって、フィルターを忘れたわけではない。
「77年の自分には戻りたくない」という意識だけは、今も心のどこかにある。

さて、21年前の今日。
その夜、ぼくは小倉の、ある公園で花見をしていた。
就職して2年がたった。
創業以来の仲間と飲む酒は、格別なものだった。
吹く風は暖かく、これからの人生がバラ色に飾られているような気がしていた。


  春の夜に

 午後から降り始めた雨は、
 今日の仕事を終えた。
 雨を運んだ風は、
 次の場所に移った。
 弥生最後の夜
 誰もいない窓に向かって
 ぼく一人だけが焦っている。

2003年3月31日、ぼくは自宅で頭を抱えている。
くそー、まだ出来んわい!
もう3時やん。
参りました。
03月31日(月)
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