ID:1488
頑張る40代!plus
by しろげしんた
[218184hit]

■センター試験に寄せて
今日からセンター試験である。
今仮にぼくが受験生だったとしても、その年頃にはすでに受験勉強の才能のなさを覚っていたぼくには、センター試験などは無縁のものだったに違いない。
おそらくセンター試験の日も知らずに、駅前あたりでせっせとストリート・ライブをやっていたのではないだろうか。

ぼくの18,19の頃といえば、興味のない受験よりも、音楽のほうに入れ込んでいた時期である。
英単語を覚えるよりも、ギターコードを一つ覚えるほうが大事だった。
英作文を書くよりも、詩を書くほうが大切だった。
長文読解よりも、歌を歌うことのほうが必要だった。
ぼくの運命は、その時期に、ぼくに受験勉強を習わせようとせず、楽しんで生きる術を習わせようとしたのだろう。
そのことを、今となっては感謝している。
当時『試験に出る英単語』で覚えた単語はすべて忘れてしまっているが、当時作った歌や詩は今もなお生きているのだから。

話は変わるが、よく東大生を差す時「あの人、頭がいい」などと言う。
しかし、ぼくはその言い方には否定的である。
ぼくの知る頭のいい人とは、例えば老子のように、自分の才能を包み隠し、あたかもバカのように振る舞える人のことである。
東大君は頭がいいのではない。
東大に行く才能を持ち合わせているだけのことだ。

才能といえば、東大に入るすべての人を、あたかもオールマイティの才能の持ち主のようにもてはやす人がいる。
では、聞こう。
東大に入る人のすべてが、よどみなく英語を話せるとでも言うのだろうか。
東大君のすべてが、音符を読めるとでも言うのだろうか。
また、すべての東大生が、日ペンの美子ちゃんみたいな字を書けるとても言うのだろうか。
ぼくの知っている東大出の人は、英語はだめ、歌も字も下手だったし、世間的な常識も欠けていた。
オールマイティなら、こんなことはないはずであるが。
案外、そういう人は「東大、すごいねえ」などと言って持ち上げておいて、実はからかっているだけなのかもしれない。

明治時代、禅宗の高僧がいた。
高僧は学のない人だった。
それを聞いた東大生が、この高僧をぎゃふんと言わせてやろうと、寺に乗り込んだ。
高僧と相まみえ、東大生が理論を展開しようとした時だった。
意を覚った高僧が、「腹の中のものを全部捨ててから来なさい。その時語り合いましょう」と、静かに言った。
東大生はそれを聞いて、すごすごと引き下がって行ったという。
つまり、東大生の知識の学問が、高僧の生き学問に見透かされたわけである。

今日からセンター試験だ。
明日もセンター試験か。
・・・・・
まあ、どうでもいいや。
01月18日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る