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リュカの日記
by リュカ
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現在午前0時02分。
目が醒めた。
掲示板に「リュカは何で親が生きているのに親と暮らさないのか」と書かれてたから答えてやるわ。
俺は両親が健在で弟と4人で暮らしてた時に親に追い出されたんだわ。
「今年の4月になったら出て行ってや」と、大学中退した1年後に。
弟は会社勤めしてて仕事を持ってたし一人暮らしをしていくだけの稼ぎはあったけど実家暮らしが許されてた。弟は普通に贔屓されてたし、父自身「確かに俺は××を贔屓してるかもしれへんなぁ」と言っていた。あの自分の非を絶対に認めない父が「贔屓しているかもしれへんなぁ」と認めた時点で、実際は「かもしれへんなぁ」レベルの差別じゃない事も明らか。事実、俺は子供の頃は毎日のように親に泣かされ続けてたけど(大人になってもヒステリックな罵声は続いた。配信者の関慎吾や鮫島の母親、家庭と同じような物だと思ってもらったらイメージ出来るだろ)、弟は産まれてこの方親に殴られたりした事が一度も無いどころか、蹴られた事も罵声を浴びせられた事すらない。箱入り息子だ。
方や無職の俺は親の指示でワンルームマンションの賃貸契約結ばされて、かつその時点から更に10年くらい昔にやってたアルバイトをその時点までも継続して続けているって体で嘘の履歴書を書かされて契約を結ばされ、そのままポーンと実家を放り出された訳だ。
家賃を支払っていくつても仕事も無いのにな。
(そもそも俺は10代の頃少年犯罪を繰り返してた口だったから、もはや犯罪を犯さなくなったニート無職が悪い事だっていう感覚がゼロだったな。
むしろ、ニートになってもう犯罪行為で世間に迷惑をかけてないぞとドヤってたくらい。)
うちの親は俺が小学生の頃に、江戸時代、明治時代どころか大正、昭和ですらないあの平成の緩い時代に俺を寺に小僧見習いか何かとして丁稚奉公に出そうか、なんて検討して「上手く行ったらゆくゆくはお寺継がせてもらえるんかな?」とノリノリだった親たちだからな(俺としてはとんでもない恐怖だったが)。
いわゆる毒親ってやつだった。
実家を追い出された頃は色んな所に面接に行ったけども、2009年の超就職氷河期ど真ん中でアルバイトでさえどこも雇ってくれなくて、仕方なしに日雇い派遣で仕分けとかして働き始めた。その派遣ですら仕事がどんどん無くなって行って今の生活に収まった訳だ。
それまでの1年間のニート生活で、豚嘘を筆頭とした奴らから「ニートの言う事だから無効だ」と叩かれていたが(なんと、大学を中退して1週間経たないうちからニートだと言われ叩かれ続けてきた)、派遣とは言え働き始めてニートじゃなくなった俺に対して豚嘘はニート叩きが出来ない、でも自分のメッキを剥がす俺を言論弾圧したいがために「俺は今日からこいつを『生ゴミ』と名付ける。生ゴミの言う事だから無効だ」と、ニート叩きが出来ない代わりに無理から生ゴミのレッテルを張って弾圧を継続した訳だ。
今でこそつじつま合わせに豚嘘も粘着共も「ナマポのゴミだから生ゴミなんだ」とかほざいてるけど、実際の始まりはニートじゃなくなって派遣労働者になったから、代替煽りとして発生した言葉が「生ゴミ」
その頃はそれまで俺をニートニートと叩いてたすがのを筆頭とした連中が「仕分けくっさw」とか継続して煽り続けてきたから、結局俺が働こうが働くまいが継続して粘着するんじゃねぇか、と悟った訳だ。
今谷村さんがコロッケどうこうって叩かれてるのと同じでな。
話は逸れたが、俺は弟が産まれた時点で両親から目の仇にされて憎まれて虐げられ続けてたし、そんな両親を俺も憎み続けてた。
俺一人を虐げて残りの家族3人で結束力を強めるというのがうちの家庭で(父は「それはお前の妄想や」と言っていたけど実際はそうだった)、俺もしょっちゅう家庭内でブチギレてたからよっぽど俺に出て行ってほしかったんだろうな。父も役所に「うちは会社が倒産しかけてる状態なんです。だから扶養できません」と答えてた。
青春時代になると俺も親に口答えしたりキレ返したりするようになったから、家族的にはそれが気に入らなかったのか青春時代の俺の写真なんて物は仲間内で撮った物以外一枚も無い。
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11月02日(木)
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