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リュカの日記
by リュカ
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今日もまたサイト編集に没頭していた。
PIERROTというV系バンドの曲を60曲ほど追加した。
作業中、あまりものを考える事が出来なかった。
意識から外れた感じで。
午前3時半頃に一度タバコを買いに外に出た。
月がやけに高い位置で明るくて、午後20時くらいに見えてしまう。
俺が昨日起きたのも午後17時くらいだったので、目がさえていた事もあり、余計にそれくらいの時刻に感じられる。
なのに辺りは静寂だ。
そのギャップが少し新鮮に感じられた。
相変わらずショタコン共が検索ワードでこの日記に飛んでくる。
「童顔 チビ 幼い 顔晒し」
さっきはこんな項目から飛んできた糞が居た。
こいつらは卑しい目的を持ってこの日記に着たんだろうな。
本当、胸糞悪くて厭になる。
「ショタコン動画」とか「少年」とか、そんな感じの検索ワードで飛んでくる奴らも毎日だ。
いつもいつも、そういう腐ったゴミ共の存在を身近に感じる。
マジで死ねよ。
好きな対象と付き合える、というのは他の誰にとっても普通の事でも、俺にとっては大きな事だ。
大きな事は奪われる。
自分の中で、それが大きい状態じゃ、絶対手に入らなくなっている。
一番大きかった状態で、大きな存在に感じる感覚さえも奪われて。
この世の何もかもが不条理だ。
俺に対しては、とことんマイナスになるようにしか出来てないからな。
幸運、というのは誰でも当たり前に得られるものだ。
ただ、俺の場合だけはそうじゃない。
幸運を得られたと感じたところで、そこには落とし穴が待っている。
プラスになれたと感じた途端、プラマイ0どころか、どん底まで落とされる。
今までずっとそうだった。
何も実らないように仕組まれている。
得たいと感じる時には得られない。
要らなくなったらやってくる。
今まで生きてて、大きな喜びなんて得られたためしがあっただろうか。
子供の頃などを振り返ってみても、誕生日とかクリスマスとか、嬉しい日になるはずが、その日に限って普段以上に怒鳴られ殴られで厭な気持ちで終える事が殆どだったな。
俺の運命はそういう風に出来ている。
あの子と関わっていた時期も、「こんなに嬉しい事があっていいのだろうか。自分に限って、本当にこの機会が幸せのまま終われるなんて事があるのだろうか」と感じていたけど、事実その後どん底まで落とされた。
絶対こうなる。
普通に生きていたら、幸せと不幸は順当に訪れる。
幸せな出来事があったとして、次にはそれとは無関係な事象による不幸を受ける。だから、幸せは幸せとして慈しめる。
俺の場合、幸せな出来事だと思っていたものが、そのまま自分を不幸に導く。別々じゃなく、幸運に見えるものはそのまま苦しみへの伏線でしかない訳だ。
前世で善人でも殺したのかな。
自分の業が、関わる罪もないような子供を巻き添えにする、なんて理不尽な事があるのだろうか。
神やら何やらは、俺に対してザマーミロ的快感を得るなら手段を選らばずか。ただ力を持ってるってだけで、神=善なんて思い込んでる奴らはアホだな。死んだ後もどうせ地獄だ。
俺からしたら、善とされているものも、悪とされているものも、どっちも最低の糞にしか感じない。両者とも、俺にとって一番踏み入れてはいけないような重要な部分に、共通して当たり前のように踏み込んで来る。
何より最低なものを認めて置き去りにしていく。
例えて言うなら、過激派右翼と過激派左翼が対極した存在のようで、実は両方悪である、ってのと同じ事。
狭い範囲においての対極を、全てにおいての対極だと勘違いしてる奴多いよな。
善悪抜きで例えるなら、巨人と阪神は対極だ。
関東と関西は対極だ。
でも、野球球団、日本国内、という点じゃそれ以外の他の何より近い2つだ。
同じジャンルに収まっている。
仏教とキリスト教も、外から見たら同じ「宗教」
しょうもない方向に話がそれた。
全てに対して理不尽さを痛感している。
社会的な善も悪も宗教的な善も悪も、俺からしたら"最"悪だ。
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11月15日(火)
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