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リュカの日記
by リュカ
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自分の無神経さ、不謹慎さ、鈍感さに対して強い恥の感覚が離れない。
冷静で居すぎている。
もしもその子本人の意思があったり、また縁起でもないけどもしもの事があった時、多分俺の方でその子について話す事になるのだと思う。
その時、家族に対し今までにその子の身に降りかかってきたような事を、どういう順を追って話していけば、と組み立てる感じで考えていた。
心底から楽しく話し合う事が出来ていた頃があって、今はそうなれなくなった。楽しく話し合う事が出来ていた時期から、今現在も変わらず関わり続けている。その子の存在は俺の日常から消えてない。
「せっかく」
という気持ちだ。
それなのに、せっかくその子との関わりが続いているのに、俺はもうその子を嬉しく感じる事が出来ないでいる。
関わり続ける、という状況は変わってないのに。
無駄にしてるみたいに感じる・・
楽しくできたのは最初の1年くらいか。
申し訳なくなる。

今日の午後に、メッセの子の2度目の手術がある。
こういう場合、身近な人間は祈ったりする事が多いんだろうな。
俺の場合、相手の無事を願っても、ことごとく相手は酷い目に合っている。
まだ男の子に対する気持ちがとても強くて、メッセの子が酷い目に合う可能性が見える度、肝を冷やして何度も「無事でいてくれ無事でいてくれ無事でいてくれ」と強く心の中で繰り返していた。
心臓がバクバクいって、胃が痛み動悸が治まらなくて、ただひたすらに心の中で念じていた。
結果、いつも想定できる以上の最悪のパターンに陥っている。
そんな事が何度もあった。死ぬほど苦しかったのを覚えている。
自分にとってあって欲しくない事は絶対起きる。
もう、そういうジンクスなんだと感じられるほどに。
確率としては、俺がそういう風に願った場合の3分の2以上はそういう目に合っている。
いつからか、その子が酷い目に合いそうな瀬戸際でも、「無事でいてくれ」と願う事を辞めた。願って良いとも思えなくなった。
現実的に考えたら「アホな事を」「ただの思い込み」となるのだろうけど、実際いつもそうだったのだ。
気持ちが薄れて、願う事を辞めてからは、割かし無事で居てくれる確率は高くなったように感じる。0ではないけど。
手遅れみたいな感覚で、無事で居てくれる事が絶対的な喜びだ、とならなくなってからは。実際心底強く願う事が出来なくなった、とも言えそうだけど。
半々くらいか。
こんな事を書いていると、何だか気持ちが薄れてしまった事に対する正当化にも見えてしまって嫌になるけど。
多分、今日の午後も心の中心からはその子の事を外すと思う。
でも、もう生命の危険は無くなったそうなので、どちらにしろ大丈夫か。
なんて割り切れるようになってしまった事が、またどうしようもなく酷く感じる。
本当に自分は不謹慎人間なんだな、と嫌気がさす。

今日の授業は1から4だけど、目が覚めたのは12時過ぎだった。

午後から学校に行ってきた。
4時限目だけ出席した。
キューブリックの「バリー・リンドン」という映画を途中から放映していた。前回の続きらしいのだが、俺は前回この授業に出ていない。
美術の授業とか言いながら、何故だか英文とかそんな事ばかりやっているので苦手なのだ。授業の名前だけ美術で、たまに映画を放映する以外は殆ど英語の授業と変わりない。
授業が終わり、図書館で「トロイ」の続きを観た。
また、閉館時間で最後まで観る事は出来なかった。
学校に居る間、自分の人生のどうしようもなさなどを嘆いているような感じだった。救いの無さ、救いの無い上で世の中を認め生きていかなければならないのか、色々と薄れてる、以前の自分はそうでなかった事を知った上で薄れていく事に対するこの気持ち。色々な事を浮かべていた。
ずっとそんな事ばかり浮かべていて、頭痛がしてもう考えるのが嫌になった。それもまた薄いんだけど。
何もかもが薄々で嫌々だ。
この何もかも納得できない状況で、それでいてその納得できなささえも薄れてしまって、それも含めて納得できずにその上で生き続ける。
納得できない物事は、かつての自分にとっての最大だ。

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10月17日(月)
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