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リュカの日記
by リュカ
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嫌な場所を「見ない」というのがプレッシャーに感じる。
見たら見たで「次の書き込みは」と気になって、その連鎖から抜け出せなくなる。
なんかキツイ。
道徳、について少しだけ考えた。
道徳自体の内容じゃなく、それに関するあれやこれ。
あくまで自分自身を振り返って言うなら、子供の持つ道徳観念というのは薄っぺらだ。
「何で〜なのだろう」みたいな、内容が伴わず「ただそう決まっているからそうなんだ」と。
10代になると、そんな道徳というものに疑問を持ち始める。
「誰かが決めたからって、自分には関係ない」とか。
内容の伴わない道徳を信仰してきたなら、そんな道徳との葛藤みたいな風になっていく。
20歳になるかならないかあたりになると、それぞれの道徳や法に対し、自分の中で「こうこうこういう訳でこういう事をしてはいけないのだ」と自分自身で感じるものになぞらえて、それらを納得していくようになる。
単位制高校だったけど、俺は哲学の授業を取っていた。
「人間は幸せを追求しなければ〜」といった生き方に対し、自分の考えを書きなさいみたいな問題があった。
「法や道徳に背かない範囲内での楽しみや幸福を追求していくべき」みたいな事を書いたと思う。評価は最大の「5」だった。
当時の俺は、自分自身の出した答えに対し強い怒りや人生に対する諦めのようなものを感じていた。
でも、22歳になった今現在になると「やっぱりそれが正しいし、そうしなくてはいけないんだ」と、ちゃんと自分で感じるようになった。
ショタコン親父に多いのだが、「何で道徳がそうだからって自分もそうしなくちゃいけないんだ?だったら俺はどうすればいいんだ」とか、独りよがりにラリってる糞親父をよく見かける。
「そんな道徳なんて糞くらえだ」と、若いロックシンガーの社会への反発を気取った糞親父。
「道徳を無視する自分。そんな反社会的な社会への反発に対し、大衆は同情的に賛同してくれるものなんだ」とでも思ってラリってるのか。
いい年こいて「何でそれをしてはいけないのか」の道徳を理解しようともせず、なお「理解できない道徳だから〜」と自分の薄汚い欲望に都合の良い屁理屈をでっちあげる。
俺から言わせれば「いい年こいて、大人の癖にてめえはただ自分の情けない醜態晒してるだけだろうが」と呆れ果てる。
対象になるのが未成年の少年なだけに、呆れだけに留まらない。
強い怒り、軽蔑、憎悪。
自分が10代でまだ性癖で悩んでいた時、自分の性癖を認めようとしない社会を憎く感じた。幼稚な表現をするなら、社会は自分の敵だった。
道徳を納得し、少年が搾取される事が耐えられなくなった現在、ショタコンによる犯罪を黙認、軽視する社会が憎い。
俺が犯罪に神経質になって、そういった奴らを罵ったりしようものなら、輪や協調性を重要視する社会はこぞって俺を異常者扱いして叩き始める。
どっちに転ぼうと、やっぱり世間や社会は敵に見える。
人間が憎い。
俺の今現在の人間性は反社会的なものとはかけ離れてる。
なのに、俺の目に映るものは犯罪抑止や不謹慎否定よりも協調性を重視するような人間ばかりだ。

ちゃんと自分で社会的にも正しいと感じる事を主張してるのに、誰も何も理解しない。
俺が満たせない事で悩んでた時、散々否定してきたような周囲の奴らが、俺が搾取を否定する事を否定してくる。
糞だ。
奴らは搾取を肯定、軽視する。
人間や人生が糞に思える。
どういう風に考えたところで、何も理解されないし、何ひとつ満足できない。
ストレスやプレッシャー、怒りや不安感で心に強い負荷がかかると、よく「壊れる」という表現を使う。ショタコンの俺の場合どうなるんだろう。
限度を超えてプッツンきたら、少年に対してまで反社会的な最低の奴になってしまったりするのだろうか。
疲労や痛みが蓄積されると死ねるのに、ストレスじゃいくら蓄積されても死ぬ事が出来ない。せいぜい自殺に走るだけとか、結局痛みに頼る事になる。
ある程度限界点まで心に負荷がかかったら、そのまま意識消滅、みたいになれたらいいのにな。

汚い性欲目的の癖、「人を愛する事が罪ならば」と、自己陶酔むんむんで同情を買おうとする糞親父がいる。

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01月09日(日)
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