ID:14142
リュカの日記
by リュカ
[597269hit]
■
俺自身が納得できて、少年にも都合がいいような関わり方なんかあるのだろうかとか、俺はあの子に感情を持ったままで何度も何度もフッたのに、1度くらいあの子の方から拒絶や軽蔑を現したりフッたりしてくれてもよかったものをとか、タイプの子が世のためとか色々な事に献身的になったりするのが耐えられない、とか考えていたと思う。
俺からしたら世の中とか人間とか営みとかそういったものは決して「善きモノ」ではなくて、嫌なもの腐ったもの最低のものという印象が殆どで、そんな腐ったもののために少年が献身したりしているんだと思うと嫌になってくる。授業でボランティアの話が出た事がきっかけだった気がする。少年にかぶせて思い浮かべたんだろうな。
酷い目に合わされた事がある少年が介護したりして、介護される人間はそんな事も微塵も気にせずヘラヘラ喜んだりするんだろうなと思うと許せなくなった。
最低な事をした奴らもいつか介護される事になるのだろうとか。
大晦日のカウントダウンとか正月の初詣とかクリスマスとかスポーツ観戦とか、そういった集団行事だと見ず知らずの人間に対してまで親しみを込めたり連帯したりするのだろう。
その中にはそういうショタコン親父もいるのだろう。
そういう奴は自分が少年に悪戯しておきながらも行事中はそれを個人的に楽しんで、それだけ最低な事をしたにも関わらず回りからは「親しみ」を持って接せられてそいつもそれを喜んで・・・
自分が犯した事よりも一時期の個人的な楽しみに重きを置いたりするのだろう。許せない!
マイケルジャクソンとかアイドルの歌なんかで「世界中の皆」とか、まるで「皆」というものが「善いモノ」のように扱われたりするのだが、その皆とやらの中にはそういう最低な奴らも星の数ほど含まれているわけで、そういう奴らも一緒になって「善いモノ」のように捉えられたりするんだろうな。
そう思うと悔しくて悔しくてたまらない気分になった。
被害に合った事がある子も、そういう集団的なものを「善いもの」に感じてしまって、その中には最低なショタコン野郎が含まれているのにも関わらず「善いもの」みたいに思ったりして、言葉でまとまらないようなたまらない気分になった。
書いてるうちに、今日考えた事や感じた事が色々思い出されてきた。
「無理に苦しもうとしない」という風にしてからは、中途半端ながらも素の苦しみみたいなものが沸いてくるようになった。
話は変わって、今までの人生も、それを自分が送ってきたものだという実感が沸かない。
今の俺ができない事、しないような事を平然とやってのけていて、何だか他人の人生を客観的に見ているような気分になる。
俺自身は最初から、ずっと今のような準ヒキコモリ生活を送ってきたような感覚だ。
メッセの子が色々自分の身の回りの事を話してきても、対人面で引け目を感じたり。
今の精神状態、心境からして、少年と関わる機会があったとしても、実際に関わるものじゃなくメッセとかそれらが限界だろうなと感じる。
以前の普通に人間と関わっていた時期なら、自分がショタコンだという事を理解してくれ、軽蔑もせずにいてくれる少年が居たとしたら自分から会いに行こうとしたかもしれないけど、今の状態だとそれも「ありえない」だな。
どの道、タイプの少年と実際に関わる=軽はずみで最低の所業、という意識はあるので行動的にどうこうと考えてもあまり意味の無い事にも思える。
ただ、精神的な意識の違いだろうなと。
話は変わって、タイプの子、特に悪戯されたりした事がある子がショタコンを認めていたり、未成年の自分に対して成人した奴がどう感じているかに軽蔑を表さなかったり、そういう性的なものを否定せずに認めたりしているのを見ると、最低な文化とか最低な奴とか社会とかに取り込まれているように感じて、恐ろしく感じたり認めたくなかったり、それらの味方をしているようでストレスに感じたりする。
俺があの子と関わっていた頃によく感じていたものだ。
今月で22歳になる。
二十歳を過ぎればあっという間だというけど本当だな。
去年の誕生日にあの子からメッセージを貰ったので、関わり始めてから1年は過ぎたけど、関わるのを辞めてからはまだ1年経ってないんだな。
11月02日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る