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リュカの日記
by リュカ
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それからみんなでお棺を囲み、喪主である叔父が火葬室?の部屋の赤いボタンを押して扉が開き、その火葬室に祖父のお棺を入れて、係の人が挨拶して「14時くらいにまた来てください。その頃にはお骨になってますから」と説明してた。
それから、俺たちはまたみんなでマイクロバスに乗って葬儀場に戻って行った。
葬儀場でまた料理が出され、会食室でみんなで食べた。
今度の料理は、さっきのよりも豪華なお弁当だった。
ノンアルコールのビールを出され、俺とE君と叔父とCさんで「献杯」と言ってグラス同士をカツンと合わせた。
母は俺とは遠い席に座っていたな。
弟家族は赤ちゃんの●ッ君が居るので、会食室ではなく、控室でお弁当を食べてたみたいだ。
会食室には祖父の遺影が飾られていて、遺影の前にはビールを注がれたグラスが置かれていた。
Cさんが祖父の遺影のところに歩いて行って、また「献杯」と言いながら、祖父の遺影の前に置いてあるグラスに自分のグラスをカツンと合わせてた。
ノンアルコールビールを飲んだ後、俺は出されていた瓶に入ったコーラを飲んだのだが、祖母が「あんた、ジュースそれで最後にしときね」と言い、俺の隣に座っていた遠い親戚らしき年配のおじさんが祖母に向かって「そんな意地悪言わんでもええやろ」と。
祖母は「いや、この子医者からジュース止められてるから」と。
俺、別に医者にジュースを止められてるなんて事実は無いんだけどな。
自分を取り繕う為に事実をでっちあげる祖母の醜さを少し感じてしまった。
葬儀場に戻ってからの1時間ちょっとの時間はあっという間に過ぎてしまい、「そろそろ火葬場に向かう時間です」と言われ「え、もうそんな時間?」と思った。
親父の時はもっと長かった印象なんだけどな。
それから車に乗ってみんなで火葬場に向かう。
俺は母に「おじいちゃん、もうお骨になってるかな」と言うと、母は「そうやろうな」と。
さっきとは別の入り口から火葬場に通された。
火葬室から祖父の遺体がスライド式で引っ張り出され、祖父は骨になっていた。
親父の時もそうだったけど、祖父の時も、特に臭い感じはしなかった。
25.6年前、俺が小2の時、父方の祖父のお骨は強烈な臭いを発していた記憶があるのだが。
祖父の左脚の骨が2重に何かで縛られていて、そのすぐ上の方にゲーセンのアーケードコントローラーのつまみみたいな、丸いピンクの球体があった。
これは祖父が骨折してボルトを入れる手術をした痕だそうだ。
祖父の顔のところには殆ど骨が残ってなかった。
祖父は歯が奥歯の1本くらいしか残ってなかったからな。
それから喪主の叔父、配偶者の祖母、娘の母、そして俺たち孫の順番でお骨拾いをした。
葬儀場の人が「ここはどこどこのお骨になります」と丁寧に説明してくれたのも、親父の時と一緒だったな。
喉仏の骨も一緒に骨壺に入れていた。
喉仏の骨は親父の時は別の入れ物に入れていて、後に京都のお寺まで納めに行ったみたいだけど、祖父の宗派では他の骨と一緒にするんだな。
それから、残った骨はちゃんと葬儀場の人が埋葬する旨を伝えて、火葬場から解散となった。
俺たちはまた葬儀場に戻って行った。
遠い親戚の人たちは、もう火葬場を最後に家に帰って行ってしまった。
火葬場から葬儀場に戻ってからはみんなで雑談をしながら時間を潰し、午後15時だったか17時だったか、それくらいの頃から初七日の法要?もこの日のうちに行うとかで、またみんなで席に座ってお坊さんの読経を聞いていた。
それも終わり、E君とCさんはタクシーに乗って帰って行った。
大阪まではE君とCさんで一緒に行って、そこでそれぞれ別れて家に帰るそうだ。
弟家族もそろそろ出発すると言うので、俺は弟家族の車の後部の方に荷物を置かせてもらい、上着無しの礼服姿のままで神戸まで送ってもらう事になった。
しばらくみんな無言だった。
俺は助手席に座っていて、弟が車のテレビで千原ジュニアとケンドーコバヤシの「にけつ!!」の録画を流してて、それを観ながら車に乗り続けていた。
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06月26日(日)
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