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リュカの日記
by リュカ
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このまま意識を保ってる時間が短くなって行って、目覚めなくなる、とも・・・
抗がん剤を投与しても、大して寿命も伸ばせない、とか。
親父は寝たままCTを撮る為、看護士さんたちに運ばれて行った。

親父の意識がシャッキリしてるのは朝だけなのだと言う。
明日は朝から行こうかな、病院。
ジャケットの事も聞いておきたいし。
親父がどのジャケットを俺に貰ってほしがっているのか。

現在午後21時52分。
病院から帰ってきた。
先生からまた説明を受けた。
脳に直接抗癌剤を投与する意義が無くなってきている。
それほど、脳腫瘍の悪さが強まっている、と。
4週間を「1クール」として治療しているのだが、その1クールすら命が持つか分からない、と。
今の状態じゃ、(身体の治療をやってくれる、脳に関してはノータッチの)神戸の病院も受け入れてくれない、と。
なので、身体の事は治療せずに脳だけの治療に努めるか、それか、○×先生が推す大阪の別の病院、脳外科もあって、身体の事もやってくれる病院に移すか、それともこのまま身体の事はスルーして、「もはや手遅れ、死ぬ物だ」と言う事を前提にして、少しでも癌の苦しみを和らげる事に特化した別の病院に移すか、「どうしましょう?」という話だった。
「うちは脳外科だから、癌の苦しみを和らげる事を専門的にはやってないんです」と。
そんな感じ。
明後日、城崎の伯母(親父の姉)が来て、親父の世話を母親から1日だけバトンタッチしてくれるのだそうだ。
どうしよう。
明日、俺病院に泊まろうかな。
それで、明日のうちに親父の世話を母親からバトンタッチして俺が引き受け、(ずっと実家に帰れていない、白髪の黒染めをしたがっている)母親を実家に帰して、明後日、俺から城崎の伯母に親父の世話をバトンタッチさせてもらって、それから俺も自分の家に帰ってこようか。
俺が見ている間、城崎の伯母が見ている間、ダブルで時間が出来るので、その間に母親を休ませてあげようか。
どうしようかな。

先生が磁石?で親父の脳に通っている管の調節をして、ようやく親父は目を覚ました。
そういう調節も、神戸の病院では出来ないのだと言う。
先生が推す大阪の別の病院なら出来るらしいけど。
癌の苦しみを和らげる事に特化した病院に移すって事は、希望を捨てるという事だ。
俺は最後まで希望は捨てたくないんだよ。
他の家族はどうか知らないが・・・
目を覚ました親父と少し話した。
「親父が俺に貰ってほしがってるジャケットってどれの事なん?」と。
親父は「神戸の家に戻った時に探すわ」と返答。
親父は帰る気満々なんだよな。
そこまで命が持つかどうか分からないのに・・・
母親と、母方の柏原の(俺から見たら)義理の祖母の話になった時、俺が「おじいちゃんも(親父の事)心配してるやろうな」と言うと、母親は「おじいちゃんは、私のお母さんが癌で亡くなったから、(この病院には)よう来おへんと思う」と。
俺が「おばあちゃんの死がトラウマになって?」と言うと「そうそう」と。
あと、親父と母親が結婚して俺が生まれたばかりの頃、西宮の社宅に住んでた頃、俺の最初の幼馴染が実は在日韓国人だったんだ、という事を母親から教えてもらった。
体の大きな男の子だった。
家にも遊びに行かせてもらったのを覚えてる。
ロボット?のおもちゃがあって、薄暗い部屋だったっけ。
俺の初めての幼馴染が韓国人だったなんて。
ちょっとした衝撃を受けた。
あと、神戸に引っ越してきてから、俺が仲良くしていた耳の不自由な年下の男の子も、実は在日韓国人だったのだと教えられた。
「あそこのお母さん、変なお母さんやった」と言われた。
俺はその子の事を「ラァーラァー」とちょっと馬鹿にして付き合っていて、悪い事したな、と思い出した。
耳が不自由なせいで普通に言葉を喋れなくて、ずっと「ラァーラァー」と言い続けてる子だったから。

今日先生から説明を受けた時も、心を抉られるようなショックを感じたけど、昨日ほどのショックじゃなかったな。
母親は「○○(俺の名前)が居てくれて、私が助かったわ。一人じゃよう聞けへんかった・・・」と言っていた。

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12月18日(水)
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