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リュカの日記
by リュカ
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■
食事が終わっても心臓の爆音とガクガクブルブルの震えが止まらずどうしたものかと思ってた。
午後19時過ぎになり、祖母が「○○、駅まで送っていくわ」と言い出した。
車は俺と祖母と叔父と従妹の相乗りとなった。
俺の隣が従妹で。
もはや震えはクライマックス。
駅に着き、電車の時間がくるまでしばらく待合室で話す事になった。
祖母が「○○も早く仕事みつけんと。お母さんももう50過ぎてるやろ。お父さんももうすぐ60やろ」と。
俺はガクガクブルブル震えながら「お、親父はもうすぐ62やから」と。
祖母が「それやったらなおさら、体も健康なんやしちゃんと働かなな」と。
俺はガクガクしながら「う、う、うん・・・」と。
叔父が「自分も最初大学出た後働きだしたの弁当屋だった。時給500円ももらえなかった。ちゃんと探せばいいところがあるはず」と。
俺はまたまたガクガクブルブル震えながら「う、う、うん・・・」と。
ずっとブルブル震え続けながら受け答えしている感じになって、まじで地獄だと感じた。
祖母が言う。
「もしも親に相談出来ない悩みあったら、いつでもうちに来いや」と言ってくれた。
俺の今一番の悩みはこの対人恐怖症なのだが、それを言い出す事が出来なかった。
叔父も俺の態度が明らかにおかしいのを察していたのだろう。
「自分も人間と付き合っていくの苦手やけど、必ず居場所はみつかるから」と言ってきた。
俺は「お、お、俺も人付き合いはあんまり得意ちゃうから・・・」と。
あんまりどころか全くだ。
全然全然全く苦手。
でも、変な見栄が出てしまって、そう答えてしまったんだろうな・・・
祖母が続ける。
「17歳でこっち来た時(俺が同級生のヤンキーグループに地元を追われて疎開した時の事)、一生懸命車検所で働いてたやん。だから絶対どんな仕事でもやっていける」と言う。
俺は心の中で「それはあの頃は引きこもりじゃなかったし、今と比べてコミュ力がハンパなかったからなんです・・・」と思っていたが、口に出す事は出来なかった。
最後に俺と従妹と祖母で写真を撮る事になった。
俺はその時もガクガクガクガク震え続けていた。
でも、写真はちゃんと撮れたみたいだ。
電車に乗って、出発し、祖母たちの姿が見えなくなってしばらくしても、震えはなかなか治まらなかった。
親戚たちにも色々と気を使わせてしまったし、もう最悪・・・
祖母も、血が繋がっていないとはいえ、俺の事を色々と気にかけてくれているんだな・・・
祖母は「体は健康なんやし」と言うが、俺はメンタルの方がズタボロだ。
まだ実家に住んでいた頃は、親戚たちと会う事自体はそこまで恐怖を感じなかった。
一人暮らしを始めてから、親戚たちに会うのすら恐怖を覚えるようになってしまったと思う。
現在午後22時21分。
祖母に電話した。
「着いたか?」と聞いてきたので、「さっき着いた。ありがとう」と返した。
祖母は陽気な感じで「はいはい〜、ごくろうさん」と言って電話を切った。
やっぱり電話してよかったな。
もう寝てしまったかもしれないから、電話は控えようとも思ったけれど。
今日柏原に行った時、祖母と叔父が俺に封筒をくれた。
お年玉を入れるみたいな白い封筒だ。
もうそんなのを貰うような年齢じゃないけど、せっかくなのでもらっておいた。
今開封してみたら、祖母からは1万、叔父からは2万も入っていた。
合計3万。
でも、何故だか開封する前から叔父からは2万なんじゃないかと思ってた。
なんとなく。
今まで封筒一つで2万もの金を貰った事なんて一度も無かったのに不思議だな。
俺にもテレパシーのような能力が少しだけあったりして。
叔父は「またアメリカに着たくなったらいつでも言って」と言ってくれた。
俺がもっと若い時に誘ってほしかったな・・・
それこそ、俺が引きこもり始めた17歳の頃とか。
その頃にばっちり英語を身に着けていれれば、今こんな風に苦労する事も無かったはずだ。
また、バイリンガルになって帰ってきて、こんな風にコミュ障になる事も無かったかもしれないし。
現在午後22時41分。
母親に電話した。
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12月31日(月)
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