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リュカの日記
by リュカ
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あと、乗ったことがないのは救急車だけだ。
救急車に乗れば、サイレンの鳴る乗り物は全てコンプした事になる。
この先救急車に乗る事があったとしても、救急車だけ10数年の時を経てって形になるんだろうけど。

救急車とか出来れば一生乗らずに済みたいけど。
大怪我もしたくないし、病気にもかかりたくないし。
叔父が病院をやっているので、そっちで乗せてもらえばよかったな。
そしたら、苦しむ事なくサイレンの鳴る乗り物全てコンプした事になるし。

中1の時、マジックで100円玉に文字を書いて、それを自販機に入れて「返却」ボタンを押す、という遊びをやっていた。
それで戻ってくる100円玉が同じ100円玉かどうか試していたのだ。
12歳の頃の事なのに、その時の情景が昨日の事のように鮮明な映像になって蘇ってくる。
結果は、別の100円玉だった。
文字を書いた100円玉が戻ってくるまで続けるつもりで、コイン投入と返却を繰り返したりしていた。
残念ながら文字を書いた100円玉が戻ってきたかどうかは、覚えていない。

中1の時は色々と独創的な遊びを思いついていたな。
近所のゴミ捨て場を漁って、漫画や本を見つけては古本屋に売りに行って小遣いを作ったり。
痛んでいる本とかは5円くらいでしか買い取ってもらえなかったけど、楽しかった。
ジャンプ等の雑誌類は10円だった。
ベルサイユの薔薇なんて2000円くらいで売れたと思う。

中1の時、俺は小遣いを殆どもらえなかったから、夏の暑い日なんてそこらへんに捨ててあるジュースの缶やペットボトルに残った数滴を求めて口をつけてすすったりしていた。
乞食みたいな真似だ。
今思い出すと「うぇぇ・・・」となって気持ち悪くてゾッとする。
よくあんな真似が出来たもんだ。
衛生的にもかなりヤバイ。
小遣いをくれない親にあてつけたい気持ちもあったかもしれない。

中学2年か3年の時も、道端に落ちているガム(吐き捨てられたものじゃなく、ちゃんと包装紙で包んであるやつ)を拾って、「ラッキー」とか思って食べたりしていた。
当時仲の良かった友達が「買い食いするなとは言われてるけど、さすがに拾い食いまでは注意されてへんよな」と呆れてた。
当時は本当に小遣いをもらえなかった。
まともに小遣いがもらえるようになる頃には、俺はニコチン中毒になっていたので、小遣いも殆どタバコで消えていた。
なので、小遣いでゲームを買ったりというのが殆どなかった。

小遣いをもらえない反動からか、中2くらいから万引きにハマり出した。
それでお菓子やジュースや漫画なんかを盗んだりして。
あの頃は「もしも家を追い出されても、自分は盗みだけで生きていける」と本気で信じていた。
少年院に入ったら入ったで食べていけるし、とか。
バカとしか言いようがない。
中二病全開というか、考えが足りなさ過ぎるというか。
俺が小遣いをちゃんともらえるようになったのは、親が俺の盗みを懸念したからかもしれない。

今の自分からじゃ考えられないけど、子供の頃の俺は基本悪ガキだったと思う。
小学生の頃は知らない人に向けて水鉄砲をかけたり、水風船を落としたりしていたし。
それで追いかけられて逃げたり、仲間が捕まって親を呼ばれたり。
砂場で滑り台の下に地面の底に枝を刺した、怪我をさせる事を前提とした落とし穴を作りまくったり。
友達の小便とネコの糞と水やらを混ぜて作った汚水を嫌いな奴の家の前に撒き散らしたり。
今振り返ると、とんでもない小学生だった。

でも、隣町の小学生に比べたらまだマシだったのかもしれない。
小学5年生から原付に乗って暴走族入りしている連中が居たみたいだし。
今振り返っても信じられない話だけど。

小学生の頃の事を思い出すと、連鎖的に記憶が蘇ってくる。
小学4年の頃だったか、母親が「××君の家、離婚するみたいや。それで××君は転校する事になったんやって。この話、誰にも言ったらあかんで」と言ってきた事があった。
しかし、俺はそれを友達に言ってしまった。
その友達が自分の親にそれを話し、その親が俺の親に電話をしてきた。

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07月01日(金)
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