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リュカの日記
by リュカ
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昔はそうやって心の中で酷い言葉を浴びせてしまって、その浴びせた相手に同情してしまう事もあったのだが、今はもう「同情した自分が馬鹿だった」だ。そういう大人や中年が、俺にとって大事に思える対象に何をした。
罵声を浴びせられたら普通に同情されるべきような人間に見えて、そいつらはその子たちに何をした。そう見える(罵声を浴びせられたら同情されても良いような人間に見える)奴らに少しでも情を感じてしまっていた昔の気持ちも全部裏切られたように思う。裏切られたって言っても、俺が勝手にそいつら見下して後から同情したり申し訳なくなったりしてただけだけど。
対象にされるような少年以外の人間で、
どんなにけなされる人間を目にしようが、酷い扱いを受ける人間を目にしようが、俺はもう絶対同情なんてしてやらない。
もう俺は、先入観無しに人間に対し、良いものとして見たり、慈しんだり、同情したり、情け深くなったりとかは出来ないだろうな。
というか、そういう気持ちを持って人を見る事を、自分自身に許していないような状態だ。人間なんて情をかけるに値しない、いくらでも死ねと。
たとえ、何か悪い事をしてない人間(少なくとも俺は、相手が悪事を働く事を知らないとして)に対して罵倒しても、後ろめたくなるどころかむしろ憎み続けてやるのだという意地のようなものもあると思う。
凄く悲しそうな人が居たとする。
それを同情するべきか?
心の優しい少年だったら、安易に同情してしまうのだろう。
でも、その人間の悲しむ理由が凄く自己中心的なものだったらどうだろう。
例えば、「少年を自分の欲の犠牲に出来ない事が悲しい」とか。
どんな理由で苦しんでるかなんて、傍目からは分からない。
ただ、辛そうだから助けてあげたい、になるのだろうか。
腐った理由で苦しんだり悲しんだりしてる奴なんて腐るほど居るだろうに。
そういう少年がそういう奴をいたわって、腐った奴が調子に乗って付け込んで来ない訳が無いじゃないか、と。
そういう子の純粋な心を逆手に取って。
苦しんでる人間に対し、その状況に無い自分自身が後ろめたくなるのは心優しい少年にとっては共通の心理なのか。アメリカじゃ、辛い目に合った人間に対し「お気の毒」という意味で「アイムソーリー」という言葉を使うくらいだし。
俺は、苦しんでる人間、悲しんでる人間=いたわるべきとは思わない。
徹夜明けで寝てないせいか、文章かなり汚いかもしれない。
10月03日(月)
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