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抱茎亭日乗
by エムサク
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■青木パパ!,慶應義塾大学病院,多磨霊園, 『香港麺新記』,『WEB』
5月2日は大学の友人で、東京スカパラダイスオーケストラのドラマーだった青木達之君の命日だ。
今年こそは青木君のお墓参りに、青木パパと一緒に行こうと思っていた。
昨年8月15日に『なすび』のコンサートに誘って、その日は青木君のお誕生日で、青木パパは青木君のお墓参りに行った。
私は仕事で、ご一緒できなかった。
青木パパは猛暑で気分が悪くなり、コンサートには行けない、と電話があった。
心配していた。暫く経って電話をしたが繋がらなかった。
最近川上君からmixiメールが来て、マイミクさんが増え、いろいろな人の日記を過去まで遡って読んでいたら、青木パパが亡くなったらしき記事があった。
「間違いでありますように」と祈りつつ問い合わせたら、事実だった。ショックだった。
昨年8月に亡くなったのだという。15日に具合が悪くなって、回復せずに逝ってしまったのか?
青木君の七回忌を終えて。
私の母と、伴侶をなくした親たちの合コンをやりましょう!などと話し、母と3人でスカパラのコンサートに行って…。
晩年の寂しさを少しでも和らげることができたならいいのだが。
慶應病院で子宮がん定期健診。
11:40までの受付に間に合わなかったら「後回しの刑」に遭い、16:20までかかる。
まいった。
これまでの担当医は転勤。
代理の医師が、外務省のラスプーチンこと佐藤優氏似で、なんとなく変な感じ。
所見は変わらず。卵管が腫れている。子宮筋腫は2,3pのものが1個。
3月29日から基礎体温をつけているとか、卵巣の検査もしたほうがいいとか、銀座のクリニックで言われた話をするが、無視される。
恋人と相談して聞いてみたことがあった。検査を希望する。自費だと言われる。
「前は自費じゃなかった」と言ったら怪訝そうな顔。
症状についての訴えも、銀座のクリニックでもらった薬についても「それはおかしいなあ」みたいな話。
銀座も慶應もやな感じ!
もう基礎体温測るのもやめよう。
どうせキレイなカーブになどならないし、面倒だし、予防や治療になるわけでもなし。
医師が変わって、検査結果を聞くためだけに来院して長時間待たされることはなくなったらしい。
検査結果に異常があった時のみ電話連絡が来るとか。
しかし、病院を出てから不安になる。電話番号の確認をしていない。
これまでそういう書類に電話番号を書いた記憶もない。大丈夫なのか?
そして、さらに驚いたのは、別の若い女性医師に
「このまま定期健診を続けるのも意味がないわけじゃないけれど、妊娠は希望していますか?」
と聞かれ
「希望しています」
と答えたら、不妊治療を強く勧められたこと。
「あと2,3年で可能性はなくなりますから、希望しているなら本気で急がないと。お薦めは●●先生です」とまで言われて、戸惑う。
「パートナーと相談してみます」と答える。
間もなく妊娠できなくなる。
そんな年齢だというのもショックだが、避妊しているわけでもなく、妊娠する努力をしているわけでもない私に、いきなり突きつけられた選択。
おそらく「子供、ほしいなあ」と思いつつ妊娠はできないであろう。
それならそれでやることはいろいろある。もしも妊娠したら生んで育てる。
私の妊娠・出産への思いはその程度だ。
慶應病院のある信濃町駅から西武多摩川線多磨駅へ。
すっかり人気もなくなった多磨霊園で、青木家のお墓を探す。
インターネットで「多磨霊園に眠る著名人」ということで青木君のお墓の住所?は調べたのだが、場内の地図がわかりにくい。日が暮れてきて、焦る。
ああ、青木パパと一緒だったらこんなに迷うこともないのに。
漸く見つけた青木家のお墓はタバコとビールがたくさん供えられていた。
タバコの火はまだ点いていて、煙がモクモクしていた。今日も大勢の人が来たのだろう。
暫く二人のことを考えていた。
青木君が亡くなったのは平成11年5月2日享年32歳。
青木パパは平成17年8月26日享年70歳と記してあった。
ああ、そうだったのか!本当に、あの電話の10日程後だったのだ。青木パパが亡くなったのは。
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05月02日(火)
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