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抱茎亭日乗
by エムサク
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■『亀井堂』,北野謙写真集『our face』
 クレジットカードの約款校正2日目。明日までかかりそう。

 一人で『亀井堂』の中華ランチ。私は基本的にはお昼は一人で食べたい。
食後の読書やメールが楽しみだから。昼休みに仕事や会社の話はしたくないから。

 今日も早めに仕事が終わって、上池袋図書館。
やっと『国家の罠』を返して、友人のカメラマン北野謙さんの写真集『our face 日本に暮す様々な人々3141人を重ねた肖像』を借りる。
こちらも昨年6月に出版されたもので、やっと。

タイミングよく、2月20日〜3月5日青山ブックセンター本店にて写真展があるらしい。

「会期中はご希望の方を店内で撮影し、後日重ねたour faceの肖像をプレゼント(無料)する撮影イベントもします。撮影は写真集をお買い上げの方に限りません。既にお持ちの方も、いつか写真集を買おうと少しでも思った方(思って無くてもいいのですが、)はお気軽にご参加ください。撮影イベントは2月25日.26日.3月4日の15時〜18時です。
この時間は会場にいますので声をかけてください。」

との事なので出掛けよう。

『our face』ではいろいろな職業とか学校とか活動をしている集団の人たちの顔が重なっている。
例えば「諏訪大社の御柱祭の引き手30人を重ねた肖像」とか「公園に子供と遊びに来ている子育て中の親60人を重ねた肖像」とか。
私の場合タイトルは何になるのだろう。「写真展の来場者」なら簡単だが。

北野さんは「個性とは幻想である」と言い、「個性を大事に」と唱えることで限りなく均質化が進むと考えているらしい。
特に団塊の世代、全共闘世代に「個性的=よいこと,豊かなこと」という固執があるとか。

「『個性礼賛』は『有る』ことや存在することの『実感』そのものを希求することの難しさの代用品という気がします。」
うーん、難しい。写真家などは最も個性を求められる表現者なのではないか。
写真家として個性が際立つものを撮るより「見えにくいことや目に見えないことをイメージにしたり言葉にすることが僕達の仕事の一つだと思う」と北野さん。

それが北野さんの「個性」になって現れている。
でもそれは個性として「もともとあるもの」なのだろうか?
数多いる写真家との違い、「北野謙らしさ」を必死に追求して生まれたものではないのだろうか?
それって「個性的でありたい」というのとは違うのだろうか?
なんてことを一度お話してみたいと思う。
01月26日(木)
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