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抱茎亭日乗
by エムサク
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■豊島郵便局,レストラン『皐月』,『おまた』,『ナインアンダー』in手刀,『隠居邸』
 縁を切っても負債は残るってことで、以前母に頼まれた保険の手続で豊島郵便局。
T叔父との待ち合わせの前に行くつもりが時間がなくなる。
今日中に手続しなくちゃいけないとT叔父に話すと「一緒に行けばいいじゃない」。
5日はauショップに付き合ってくれて、今日は郵便局まで。優しい人だ。

 T叔父が「郵便局の『かんぽ』と言えば、この辺に安い飲み屋があったはず」と言って、
サンシャインシティ近くのかんぽヘルスプラザ東京のレストラン『皐月』。
ご馳走になる。

T叔父が母の伝言を伝えてくれる。そんなお使いまでしちゃって、大変だ。本当に優しい。
母も日記をつけているそうで、それによると母は
「2001/5/1 自分も鬱なので今は帰らないで、二人とも鬱では困るから。
2001/5/13(母の日) もう一度彼と話し合ったら」
と言ったと。だから先日母が言った事は「誤りだった。縁切りは撤回」。

それは良かった。私から縁を切ったのではない。
ただ、母が人のことを悪く言うのも母が作り上げた物語じゃないのか、と思ってしまうし
今後また「私は言ってない」「もう一度縁を切る」とかわけのわからんことを言われると嫌だからちょっと酷いと思ったけど手紙を書いた、とT叔父に説明。理解してくれる。

「新座にはいつでも帰っていいんだよ。貴女は帰りたくないの?」
「今は。でも言えないですよ。冗談で『そんなトラブッてるところに帰りたくない』とは言ったけど、自立してないんだから『帰らない』も『帰りたくない』も言えません。」
泣きそうになる。
「わかったよ」とT叔父。

母がT叔父に「よくわからない」と言ったらしい合資会社マリバールのこと、今やってる仕事について説明する。母に言ったのと全く同じことをT叔父に言ったらT叔父は理解してくれた。

T叔父の家庭もいろいろ問題があって「なんか俺の話になっちゃったな」。

 ちなみに母の日記も間違っている。
2001年5月1日にはまだ「新座に帰る」などという話は出ていない。
13日に「経済的に自立しろ」とは言われた。
「帰ってこなくていい」と母が言ったのは2001年6月27日だ。
縁切り撤回なのであまり細かいことを母には言わないが。

 T叔父と池袋駅東口で別れて西口でNANIOさんと待ち合わせ。10分ほど遅刻。
久しぶりに『おまた』。NANIOさんを連れて行く。
『夜明け前 冷卸 純米』『石鎚 純米』あと多分『王禄 渓 純米吟醸生原酒』、
他にも飲んだような気がする。
おまたさんは母を知っているので、母との喧嘩話。デブとガリガリの許容範囲について。

私にとってはどうでもよい訂正。
8月19日にNANIOさんを送っていったのは「キャバクラ街入口」ではなく「風俗街入口」とのこと。
「キャバクラは風俗じゃないの?」「広義ではそうだけど、あそこはヌキ系のね」って、ふーん。

 『手刀(チョップ)』に向かう途中で元会社の後輩O君と遭遇。
結構酔払ってNANIOさんとO君と腕を組んで歩いたような気がする。
一緒に恒例『ナインアンダー』のライヴ。

檸檬屋新宿の誕生日会で、ナインアンダーの松本ミヤコさんのお姉さんとNANIOさんが大学の友人であることが判明し、松本さんもNANIOさんと十数年振りの再会をした。
ということでNANIOさんは初めてのナインアンダー。かなり気に入ったようで良かった。
お客さんも増えた。次のライヴは12月とのこと。

今回はナインアンダーがトリで、打上にも参加。
私の赤と黒と金の背中までのエクステンションをやってもらった『駒沢美粧』は松本さんの紹介で、ナインアンダーのヴォーカル、ジャブロ君の縁の美容室。
そんなわけで皆様にヘアスタイルを披露。ササっとアップにもしてみる。好評。

松本さんのお姉さんが打上に駆けつけて、NANIOさんと何年振りやらの再会。
バンドのみんなと一緒に彩食屋『隠居邸』。2時過ぎまで。
17時過ぎから飲んでる私はかなり酔っ払い。
大きなテーブルの正面に座ったジャブロ君のステージとは違う顔と頭に巻いた真っ赤なタオルが非常に印象に残っているが他はほとんど記憶なし。

途中までタクシーで送ってもらって帰る。
09月10日(水)
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