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【保存版】光玉の勲章はインチキ勲章
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■(fake 018 政治家と真光)
 「秘書になったころは、大学の同級生で、学校の先生をしていた奥様に面倒を見てもらっていた。苦労人なんです」(知人の一人)
 神道政治連盟の幹部だった村上議員が崇教真光の支援を受け始めた一九九二年頃から、小山議員も教団と接点を持つようになった。
 実は小山議員は夫人とともに、九四年六月に崇教真光に入信している。翌年の参院選へ出馬を予定していたからだ。
 だが、このときは崇教真光から推薦を受けていない。KSDの古関忠男前理事長(79)の全面的なバックアップで当選したのである。十二万人もの自民党の架空党員をデッチ上げ、党費四億数千万円を立て替えてもらい、自民党の比例名簿順位を十二位に押し上げた。
 だが、頼みの綱のKSDには、本誌が初めて疑惑を報じた昨年四月以後、逆風が吹きまくった。小山議員はKSDに代わる支援団体を探し、崇教真光に目をつけたのである。
 昨年六月、小山議員は岐阜県高山市の崇教真光の本部を訪れ、推薦を要請。自民党本部からも依頼があったため、教団本部は小山議員の推薦を決定した。
「三十五万人分の後援会名簿と、党員二万人を集めた。『党費はどうするのか』と聞くと、選挙担当者から『ほかから入るから、名前だけ貸してくれ』と言われました」(教団関係者)
 東京地検特捜部は昨年十月にKSDの家宅捜査に踏み切った。およそ二週間後には古関理事長が逮捕されるなど、日増しに捜査の手は伸びていた。
 そのとき、小山議員はKSDを離れ、崇教真光の全国の道場のあいさつ回りをしていたというのである。
 ある教団関係者は、「組み手として相当な額の奉納をした」と言うのだが、崇教真光広報部では、「約十六万人分の後援会名簿を作成しましたが、過去にも自民党員名簿をつくったことはありません。小山議員は年に一、二度、大祭に参拝し、数万円のご奉納をされる程度です」と否定する。
 小山議員の夫人も焦っていたようだ。関係者によると、今年一月七日に渋谷区の東京大道場で行われた教団の祭典では、来賓として招かれた小山議員夫人が、約五百人の信者の前で、「選挙のやり方が変わりました。次の選挙では小山孝雄と書いてください」とはなしたという。もしこれが本当なら、公職選挙法違反の疑いがあるが、東京大道場の道場長は言う。「『おかげさまで推薦をいただきました。皆さまのおかげです。よろしくお願いします』というようなことを話していたと思います」
 いずれにしても、崇教真光が教団を挙げて、逮捕間近といわれる疑惑の政治家を推薦したのは事実。九八年の参院選でも村上氏を支援したが、推薦状までは出さなかった。さすがに、今回の逮捕劇で教団は揺れに揺れたようだ。
 そもそも崇教真光本部はKSD疑惑についての認識が足りなかったようだ。「あくまで、自民党との関係からのおつきあいで、KSDとの関係を全く知らなかったので、たいへんびっくりしております。そもそもKSDが何なのかもわかりませんでした」(広報部)
 やっと一月十四日になって、教団は推薦を取り下げ、小山議員のお詫びコメントを信者に伝えたのだが、道場では小山議員のポスターを剥がす作業に追われ、「慌ててその日のうちに全部、消却処分しました」(都内の道場関係者)
 最も動揺が激しかったのは、小山議員の推薦人に名を連ねた有名人たちだ。
 着物学校を経営する滝沢静江さんは言う。「十四日の新聞で小山先生が事情聴取されると知り、ビックリしました。推薦人から降りたいと思ったのですが、その日はあいにく日曜日。事務所に連絡しようとしましたが、電話もファックスもつながらない。郵便局の本局へ行き、速達郵便で手紙を送ったんです」
 推薦人の依頼があったのは昨年十一月だった。「秘書の方から『男性ばかりなので、花を添えてほしい』と言われました。小山先生のことは、五、六年前にパーティーの席で先生の奥様を紹介されたことがありましたし、先生も教育について熱心な方だと聞いていました」
 後日送られてきた小山事務所からの手紙には、著名な推薦人予定者の名前が何人も書かれていたが、刷り上がったビラからは名前が消えていたという。

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07月30日(月)
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