ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■神代文字の真実(21)
311 神代文字の真実(21)――批判に対する反論 A 2004/02/12 20:57
(No.132-141, 293-302の続きです。)
Yo光子統一ma光BBSの管理人は、神代文字の盲信者の著作――山田博士の論文に対する批判――を示してくるが、妄想もはなはだしい。これらの主張の共通点は、神宮教院で明治初年に神代文字の書額がつくられたことに関してである。
1)山田博士は“気まぐれ”でつくったと述べているが、これは神宮教院において大々的に『偽作』が行われたことになるのではないか。
2) 古代より神宮に伝わったものを、式年時に新調したものとみなすべきだ。
□
これに対して反論していこう。例えば神宮関係者が、万葉仮名で書かれた古歌や難解な漢詩を、修学旅行生にもわかるように当用漢字と現代仮名遣いで書き表し、難解な原文を小さく併記して神宮に展示したとする。これを見て『偽作』とか『神宮に古くから伝わる』などと言う人はまずいないだろう。山田博士は『偽作』とは一言も言っていない。私の想像だが、明治初期に神代文字に関する展示を展覧会で行うことを想定して、「古典古歌」を神代文字で書いてみたのではないだろうか。
また、式年時に書き直したなら、元となる古文献が必ず存在するはずである。神宮が昔から伝わる文献を式年時に処分し、写本のみを残すなど、まず考えられないことである。山田博士は元禄十三年の『瓊矛拾遺』には「於伊勢及加茂曾無之」と書かれてあると述べている。また、平田篤胤の門下生が全国をくまなく調べても神代文字の文献を見つけられなかったとしており、当然伊勢神宮を調べても文献はなかったはずである。
問題の神代文字は、山田博士は神宮教院で明治6-15年の間に作られたと断定している。神宮式年は明治2年と22年におこなわれており、式年に合わして作られたとはいえないと思う。
http://www.tekipaki.jp/~archive/saigyo/html/sengu.html
『神字日文解』の著者は、神宮式年について調べるという初歩的なことすらせずに、神宮所蔵の神代文字を論評している。全国の図書館にある『神道事典』(1994初版)を閲覧すればわかることである。
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なお“神代文字の真実(18)”に間違いがあった。お詫びして訂正する。
【誤】
菅原道實公、道實公、田原秀恤齣ス喜能(二)、俵藤太秀怐A從五位上平太貞盛(三)、平将門(二)、源義家、太宰帥泰成親王筆(二)、南朝春宮大夫帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言經高、中納言氏定 帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言れらにはすべてその飜譯を平假名交りで書き副へてある。
【正】
菅原道實公、道實公、田原秀恤齣ス喜能(二)、俵藤太秀怐A從五位上平太貞盛(三)、平将門(二)、源義家、太宰帥泰成親王筆(二)、南朝春宮大夫帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言經高、中納言氏定(二)、從五位下千常筆
の二十一枚である。而してそれらにはすべてその飜譯を平假名交りで書き副へてある。
11月21日(日)
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