ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■1996仏議会とセクト(1)-(5)
456 1996仏議会とセクト(1) 2004/10/08 21:47
『諸君』1996年5月号P146-154
『仏議会が認めた創○学会の危険性』――民主主義を逆手にとるカルト集団に対しては暴力団、麻薬取締り同様の強硬手段を講じろ
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広岡裕児(ひろおか・ゆうじ)ジャーナリスト
1954年神奈川県生まれ。大阪外語大フランス語学科卒後、パリ第三大学に学ぶ。76年よりパリ在住。新宗教、経済問題から映像文化に至る幅広い分野で執筆を行う。
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「魔女狩りを行おうとしたり『新宗教』と呼ばれているものを原則として断罪しようという考え方などとんでもない! だれでも自分が良いと思うことを信じるのは自由である。ただし、その隣人を害さないという唯一の条件のもとに。
我々の注意を引いたのはグループの儀式行事ではない、他人の自由と法律を尊重しないことなのだ」――。
2月8日、日本の衆識院にあたるフランス国民議会で「セクト理象の研究と必要な場合には現行法令の改正の提案案をする」調査委員会の委員長ジュスト議員は、報告書説明の冒頭にあたってこう断言した。この報告書とは、与野党あわせて30名の議員からなる同委員会が6か月間の調査、審議の末120ページあまりにまとめた『フランスのセクト』である。
セクト(本来オ○ム事件以来御馴染みになった「カルト」と同じくある教団の一派、異端、邪教といった意味だったが、現在ではマインド・コントロールをする危険な集団全体を指す)現象に対してフランスでは、日本よりもはるかに毅然とした態度をとっている。
「ヨーロッパには宗教の伝統があるから」とか「キリスト教という基準があるから」という声が聞こえてきそうだが、現実はまったく逆である。セクト問題は教義や儀式行事などの宗教上の問題ではないと認識しているからなのである。<信徒が少数である事、風変わりである事等を、セクトと位置付ける基準には入れなかった。現在ある大宗教の多くも、その発足当時にはしばしば会員の少ないセクトにすぎなかったし、現在では社会で公認されている儀式も、その当時では反対されたり、留保されたりしたものだ>と同委員会の報告書はいう。
日本では宗教法人法改正をめぐって、参考人として国会に招致された宗教団体の代表や学者の一部は、宗教団体の活動に政府が枠をはめることになるとして反対意見を述べた。しかし戦後GHQ主導で制定された現行の宗教法人法はもともと教義や儀式行事に規制を加える目的のものではないのだから、会計の透明化や政治との関わりといった「俗世間」との関係を見直すのが限度だ。今後第二次改正案が実行されたとしても、憲法に規定された信教の自由とのかねあいから、反社会的な破壊活動を密かに準備している団体があったとしても、予防的対策は取れないのが実情だろう。オ○ムは犯罪が明るみに出たからこそ破防法の適用が可能になったが、事前の段階では、修行だとかお布施などといっているので、これを取り締まろうとすると、形の上では、教義や儀式行事への弾圧、になってしまい、民主国家なればこそ強い対策は取れないのである。
今日セクトが、社会学者や宗教学者に自分達が宗教団体であると証明させようとするのは民主主義の大原則を隠れ蓑にするためである。報告書がいうように信教の自由、個人の尊重をふりかざしながら、<セクトは現社会の進歩が多くの現代人を陥れた混乱に付け込み、あたかも現代人が求めている答をもたらしたかのような幻想を与える魅力のある見せ掛けの精神性を謳った言説で現代人を凌辱し、繁栄を謳歌している>のである。
457 1996仏議会とセクト(2) 2004/10/08 21:48
■ 宗教の皮をかぶった有害団体
今回の報告書はこうした、ジレンマに出口を与えたといえよう。実は、このような国会報告書が出たのは、今回が初めてではなく、11年前にヴィヴィァン議員を中心とした報告書が出ている。だが、ちょうど、オ○ム事件前の日本のようなもので、統一教会などの事件は起こっていたもののまだ社会全体の危機感は薄かったため、全面的なコンセンサスを得るには至らなかった。
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11月12日(金)
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