ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■「新宗教の終末予言」
「新宗教の終末予言」


崇教真光=人類救済を掲げる一大宗教でありまする−ファイナル−
http://religion.log.thebbs.jp/1083529814.html


[751]-[757]新宗教の終末予言
『大法輪』1996年8月号(大法輪閣)200-207頁
「新宗教の終末予言」 オウム真理教と終末論の現在
近代宗派展開の中で、オウム真理教を考える――  樫尾直樹 (宗教学)
【参考】著者は現在、慶応大学助教授である.
http://my.spinavi.net/isd/
http://www.spinavi.net/modules/news/article.php?storyid=13


[751]新宗教の終末予言(1) 04/11/23 20:19 GK1fzYq/d22
『大法輪』1996年8月号(大法輪閣)200-207頁
「新宗教の終末予言」 オウム真理教と終末論の現在
近代宗派展開の中で、オウム真理教を考える――
  樫尾直樹 (宗教学)
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◇「終末」の兆候と予感
 昨年の阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件に、世界の終焉の兆候を感じ取った人は少なからずいただろう。終焉それ自体が終焉してしまっていることを主張するポスト・モダニズムの言説は近代批判としては意味を持っているが、それにもかかわらず、東西間題の終焉以後前面化してきた民族紛争や政争、温暖化やオゾンホールといった地球規模での環境問題など、どこかで「終末」について考えざるを得ない状況はたしかに依然としてある。
 オウム真理教がサリンを撒いた背景には終末思想があった。またそうした昨年の様々な出来事に「終末」の表徴を読み込み、すでに世界は「終末」の過程に突入したことを信者に公式に表明した新宗教の教団もいくつかある。その事実自体、「終末」のひとつの象徴であると言えるだろう。しかし、地下鉄サリン事件から一年以上が経ち、公判を通して徐々に明らかにされてきている一連のオウム真理教事件を考えるとき、そこには単にそう言って済ませられないものがある。
 そこで本稿では、オウム真理教の終末予言を、日本の他の新宗教の終末予言と比較検討しながらその特徴を明らかにし、とりわけ現代日本におけるその社会的、文化的背景と終末論の現在について 考えてみたい。新宗教教団には何らかの 形で世界の「終末」を唱えるものが少なくないが、ここでは紙幅と行論の都合上、オウム真理教の他には主として大本、真光、阿含宗の三つの教団を取り上げることにする。

◇「立替え立直し」としての終末――大本の場合――
 三ぜん世界一度に開く梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成りたぞよ、梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかにされて、尻の毛まで抜かれて居りてもまだ眠が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では国が立ちては行かんから、神が表に現われて、三千世界の立替え立直しを致すぞよ……(『大本神諭 天の巻』)
 これは一九世紀末に(明治二五年から)大本の開祖、出口なおが神がかって記した「お筆先」の冒頭で、天理教など幕末維新期以後の新宗教に見られる典型的な終末観が端的に示されている記述である。幕末以降、外国列強から政治的社会的な圧力や影響を受けて日本が近代化を進めていく過程で、特に都市下層民や農民にその社会的矛盾がふりかかっていた。それは日本人が欧米の文明に魂を売り渡したために日本が「獣の世」となっているからである。なおは、このように国家に対する痛烈な批判を行い、「強いもの勝ちの」世を根本的に変革するために、隠蔽されていた真正な神が姿を現わし理想社会が建設される時がいままさに到来しつつあることを予言した。反近代主義および反西欧主義と民衆の側からの土着主義的ナショナリズムを基調とした以上のような「立替え立直し」の思想は、大本の終末論の核心であると同時に、近現代終末思想のモデルとなった。


[752]新宗教の終末予言(2) 04/11/23 20:19 GK1fzYq/d22

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10月13日(水)
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