ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■辞めた人、辞めない人、辞めさせたい人
で、先人が悩んで到達した真理が様々な宗教のもとなんだろうけど、時代を経るにつれ、教義だけが表面化して、それにとらわれる事によって逆に苦しみの元になる。

だから、生きるヒントというか、生死の問題に突き当たった人が、その問題解決の手立てとして、先人の宗教的境地を学ぶ事は、けっして悪いことじゃないと思うけど、
盲目的に教義に従って幸せになろうというのは、単に根本的問題の棚上げにすぎず、人生を教義に従うポイント制のゲームに置き換えただけに過ぎない。

そのポイント制のゲームに巻き込まれた家族はやっぱりメンタルなところで傷を負ってしまうこともあるだろうな。


263 名前:261=262 投稿日:05/01/22 00:07:45 ID:YTZsxZ46
IDかわってるな、、。

280 名前:優しい名無しさん 投稿日:05/01/27 08:23:57 ID:IWoxyc5G
不自然な宗教から脱する為に一番効果的なのは、とにもかくにも「疑う」事ではないかと。つまり、「〜なのはなぜなんだ?」と。
世間的には「信じる」事は良い事で、「疑う」事は良くない事とされるが、俺は全くそうとは思わない。
完全に自己流の考えだが、「疑う」という行為には際限がなく、「信じる」という事はその「疑い」を中止する、という事ではないか。
言い換えれば「信じる」=「思考停止」。そりゃあ誰かの考えた教義に頼ってれば「疑う」しんどさからは解放されて楽でしょう。
例えば、円周率。これは既存の答えを疑えば疑う程際限なく小数点以下の数字が増えていきますよね?
しかし、「円周率は3でいいんだよ」という教義を信じてしまえば、円周率の答えは3のまま。なるほど、こりゃ楽だ。
しかし、そうやって出した答えは結局は真理とは別のもの。もし3でまかり通れば、今住んでいる地球の形すら成立しなくなる。
それに気付いた時、その矛盾にどう対処するか?
「えっ、だとしたら本当の円周率ってのは何なんだ?えぇと…」と疑い真理に近づこうとするか、
「そんなのシラネーヨ、とにかく円周率は3なんだから…たぶん」と疑う心を呑み込もうとするか、でしょう。
ここですよ。おかしな真理を信じる事を止めさせるツボは。
一つの「なぜ?」は頑なに信じる心を食い荒らすガン細胞になるんですよ。
とにかく1つでも「そういえば〜なのはなぜだろうか…?」と思わせたら、徹底的にそこを突いて問いを続ける。
「わからない」とか「どうでもいい」とか思考停止を決してさせない。それが更に他の事にまで「なぜ?」を転移させて、信仰心の死に至らせる。

これ、一歩間違えば精神的な廃人になりかねない荒療治だけどね…。でも愛情で繋がる家族にならやる価値はあるかと。


281 名前:優しい名無しさん 投稿日:05/01/27 09:22:15 ID:I8BKQs/d
>>280
それ相手がやってる宗教選ばないと刺されそう・・・
悪魔が乗り移ったとかなんとか言われて。


282 名前:優しい名無しさん 投稿日:05/01/27 18:54:58 ID:F9/l7lRZ
>>280
俺も「疑う」という行為は人間が生きる上で重要だとは思う。
ただ、鬱の人の場合マイナス方向に思考がいくから、
「疑う」をことを突き詰めていくと、「生きる=正しい」を
疑いだしたりして危ないのよね。

11月21日(月)
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