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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■038 pseudoscience
言語の寡占化が図られるのである。
凄まじい言語戦争、文字戦争が繰り広げられるのである。権力者たちはきまって、そのときに最も呪カの強い言葉や文字を集めて、それを法文に組織化することを企図する。古代においてはとりわけ、言語がそのまま政治であり経済でもあるような状況が現出していた。
歴史はつねに勝利者の記録であり、敗北者の記録は残ることがない。ならば『古事記』や『日本書紀』という勝利者の記録ではなくて、彼らと激しく言語戦争を展開し敗れた者たちの記録は残らなかったのだろうか。いや、神代文字を伝える古史古伝と呼ばれる一群の古文書こそ、敗北看たちによって必死に書き残された記録だったのではあるまいか。
『上記(ウエツフミ)』『富士宮下文書(フジミヤシタモンジョ)』『九鬼文書』『秀真実伝(ホツマツタエ)』『先代旧事大成経(センダイクジタイセイキョウ)」『但馬故事記(タジマコジキ)』『東日流外三郡誌(ツガルソトサングンシ)』……などはみな敗北者の側の歴史記録であるがゆえに、そこに“もうひとつの言語系”がひそかに綴られたのではあるまいか。
言葉や文字はみな呪力を秘めている。いつの日かふたたぴ闘いを挑むとき、その呪力が招来されることだろう。
さて、話をハングルと阿比留文字に戻そう。伊勢神宮の神官だった落合直澄の著した『日本古代文字考』は一種の神代文字事典で、それによれば諺文は日本の神代文字=阿比留文字が朝鮮半島に渡って成立したものだと主張する。否定論者の根拠を逆転してみせたわけだ。
しかし……やはり、それはありえないだろう。いくらハングルと阿比留文字が共通のプロト・ハングル文化園から派生した文字だとしても。
おそらく阿比留文字はハングルを元にした“創作”なのだろう。ハングルがかつてない呪カを秘めた文字だからこそ、阿比留文字という神代文字が誕生したのだ。ハングルの神秘的力に直面したとき、かつての遠いプロト・ハングルの記憶が蘇り、そして阿比留文字が誕生したのだ。
では、東京の日枝神社に掲げられた阿比留文字による神号額については、どう理解したらよいのだろうか。この神号額は平田派の学者・丸山作楽の書である。その点をふまえるならば、次のような推理ができよう。
――明治維新は神仏分離を推し進め、国家神道を強力なものとした。だか、分離によってそれまで神社においても使われていた梵字の駆逐を意味した。梵字という呪力を秘めた文字を使用できなくなったために、その代用としてかつて篤胤が発見した阿比留文字が使用されたのだ。
だとしても、なぜ日枝神社だったのか。
またしてもハングルと阿比留文字をめぐって、プロト・ハングル文化圏をめぐって、大きな謎が立ちはだかる。
11月25日(火)
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