ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■スレ51-1
書籍の中に「リーダーズ・ダイジェスト」のスペイン語版がありまして、これを使っ
て読解をしていました。一日、三○分ぐらいやっていました。こちらは中級講座です。

(コメント)
文藝春秋の手かざしが御祓いに変わっている。こちらはE・P議員の実名入りである。
「私は最後まで辞退した」という青木氏が生還しているのだから、崇教真光の主張、
手かざしを受けなかった人質はたった一人で、その人だけが亡くなった、というのは
嘘である。


103 名前:真光被害者の会コピペ 投稿日:2007/12/07(金) 14:38:55 ID:4Ui/8J+C
82 名前: 在ペルー日本大使公邸人質事件8 投稿日: 2007/12/07(金) 11:47:16

c. 人質127日 ペルー日本大使公邸占拠事件 齋藤慶一 文藝春秋
ISBN4-16-354270-1 (ISBN-13: 978-4163542706) 1998年7月

(コメント)
都合3回P議員の名が出てくるが同議員の信仰している宗教や手かざしには触れていない。
P議員に関する記述は、健康管理で血圧の測定が行われ当初は同議員が希望する人質の
血圧を測定したこと(P107)と語学講座の中級スペイン語の講師だったこと(P161)、講演会の
提案をしたこと(P162)である。齋藤氏が手かざしについて書いていないからといって同氏の
受光を否定できるわけではないが、載っていないということは指摘しておく。

d.ペルーからの便り 青木盛久 学生社 ISBN4-311-60134-4 1997年7月25日初版発行
第2部 リマ便り特別便 大使公邸人質事件
(コメント)手かざしの話題は無い。


4.まとめ
長々と書いたが短くまとめるとこうなる。在ペルー日本大使公邸人質事件において、真光は
人質の中に組み手がいて一人を除いて全員の手かざしをしたが、受光しなかった一人だけが
(武力突入で)亡くなったと主張している。しかし、組み手とは別の生還した人質がインタビュー
本の中で自分は最後まで手かざしを受けることを辞退したといっているので、それは嘘である。

参考文献
教団の御守護体験掲載号 崇教真光 424号(1998年1月号) P75とP76-79
教団外の人質の体験談 幽囚日記 文藝春秋1997年7月号 P120-141
人質 ペルー日本大使公邸の126日 ISBN4-87712-059-9 P88 
人質127日 ペルー日本大使公邸占拠事件ISBN4-16-354270-1 ISBN-13: 978-4163542706
ペルーからの便り 学生社 ISBN4-311-60134-4
NHKスペシャル「ペルー人質事件」プロジェクト 『突入 ペルー人質事件の127日間』日本放送
出版協会 1998年3月 ISBN 4-14-080365-7


104 名前:真光被害者の会コピペ終わり 投稿日:2007/12/07(金) 14:55:32 ID:4Ui/8J+C
83 名前: 在ペルー日本大使公邸人質事件9 投稿日: 2007/12/07(金) 11:58:13

5.付記 
手かざしに限らず、崇教真光誌で組み手の語る人質生活の様子と他の人質の手記を読み比べる
のも良いと思われる。たとえば当然のことながら崇教真光誌の体験談では、人質ではなく
自分の意志で残ったウィッチ神父のことや来邸するシプリアニ司教によるミサには全く触れていない。
ちなみにペルーは人口の95%がカトリックである。

人質127日 ペルー日本大使公邸占拠事件
P68
「私は、ここに残りたい。ここにいる人たちは私を必要としている。私は、人質の皆が
解放されるまで、ここに残ることを希望する」
 踊り場に集まっている残留者たちから大きな拍手が起こる。パシフィコ大学の教授である
ウィッチ神父だった。セルパは、一瞬沈黙するが、アラベと言葉を交わし肯いた。
 外の世界からみればウィッチ神父は人質の一人だったが、侵入者たちは、神父は自分の
意志によりボランタリーで残留しており、MRTAの意志ではないと明言する。従って、
神父は自分が公邸を出たい時には、いつでも自由に退邸出来た。だが、彼は、自分の言葉
通り人質全員が解放されるまで公邸に残ることになる。

P101
 シプリアニ司教が来邸して開くミサに、日本人の人質は当初出来るだけ参加した。信仰上の

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04月12日(火)
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